下館成田山 極楽寺
孫がやってきてにぎやかになりました。
また週末には二女が5月に生まれた赤ん坊を連れて神戸からきます。
息子の結婚式(24日)までこんな状態が続くのでしょう。
嬉しいような、自分の時間が取れずに悲しいような・・・・
もちろん嬉しいに決まっていますね。
ブログなどノンビリ書く余裕もなくとり、あえずは昔に(1カ月以上前)すこし書いていた記事をUPします。
下妻も今では筑西市になり、下妻が下妻市で残ったのに対し、市町村名から消えてしまった。
確かに筑波山の西になるには違いないが、下妻、下館と慣れ親しんだ名前がなくなると何処か歴史の流れが断ち切られたような気になる。
この下館の中心市街地の地名も「筑西市甲」「筑西市乙」「筑西市丙」などとなんとも味気ない。
下館もほとんど訪れる機会もなく知識も乏しいが、有名な陶芸家の「板谷波山」の記念館が市内にある。
ここを訪れてたきっかけは前に記事を書いた阿波忌部が建てたと言われている養蚕神社の「大桑神社」を訪れた時である。
もう1カ月ほど前になる。
この大桑神社が小森という地名で「蚕守」から来た名前で、こちらの下館には「養蚕」と名のつく施設も多い。
これは昔「養蚕村(こかいむら)」と言う村が存在し、地区の名前としても残り、養蚕(ようさん)小学校などの名前が今も健在だ。
小貝川が「蚕飼川」であったのは明らかだろう。
国道50号線を下館の市街地に入るところに「五行川」があり、この川を渡ると、「桜町」「金井町」「田町」などと町のつく名前の信号が並ぶ。(五行川は小貝川に下館の先で合流する)
このため、住所表記では甲、乙、丙などという味気ない名前にこの町の名前を冠して呼んだりしているようだ。

この金井町に国道沿いに大きな寺あった。
入口に「天台宗極楽寺」と「下館成田山」の2つの石標が置かれていた。
極楽寺、成田山も名前は気になるが調べてもよくわからなかった。
歴史的な背景もほとんど知ることができなかった。
正式名称は「天台宗 無量寿山 往生院 極楽寺」で、 本尊は阿弥陀如来だそうだ。
立派な門構えなので中に入ってみた。

本堂。 寺の額は「極楽教寺」(明治42年再建) となっていた。

境内は大きな銀杏の木と景色のよいお堂が立ち並んでいた。

山門を入ってすぐ横にある鐘楼。
「朝覚醒 迷夢 夕開悟 佛道」と書かれていた。
悟りを開くとは?

地蔵堂
子安地蔵が祀られていた。

地蔵堂の隣にある「十王堂」
閻魔さまをはじめとした十王が祀られているのか? 内部はわからなかった。

不動堂。
立派な造りのお堂である。

入口の龍の彫り物は迫力があった。
堂の中は聖徳太子尊と書かれた赤提灯などがたくさんあり、「成田山」本尊をまつっているようだ。



なかなか綺麗なお寺でした。
しかし謂れなどが書かれてものがなく、私のような通りすがりの者にはよくわからずじまいでした。
また週末には二女が5月に生まれた赤ん坊を連れて神戸からきます。
息子の結婚式(24日)までこんな状態が続くのでしょう。
嬉しいような、自分の時間が取れずに悲しいような・・・・
もちろん嬉しいに決まっていますね。
ブログなどノンビリ書く余裕もなくとり、あえずは昔に(1カ月以上前)すこし書いていた記事をUPします。
下妻も今では筑西市になり、下妻が下妻市で残ったのに対し、市町村名から消えてしまった。
確かに筑波山の西になるには違いないが、下妻、下館と慣れ親しんだ名前がなくなると何処か歴史の流れが断ち切られたような気になる。
この下館の中心市街地の地名も「筑西市甲」「筑西市乙」「筑西市丙」などとなんとも味気ない。
下館もほとんど訪れる機会もなく知識も乏しいが、有名な陶芸家の「板谷波山」の記念館が市内にある。
ここを訪れてたきっかけは前に記事を書いた阿波忌部が建てたと言われている養蚕神社の「大桑神社」を訪れた時である。
もう1カ月ほど前になる。
この大桑神社が小森という地名で「蚕守」から来た名前で、こちらの下館には「養蚕」と名のつく施設も多い。
これは昔「養蚕村(こかいむら)」と言う村が存在し、地区の名前としても残り、養蚕(ようさん)小学校などの名前が今も健在だ。
小貝川が「蚕飼川」であったのは明らかだろう。
国道50号線を下館の市街地に入るところに「五行川」があり、この川を渡ると、「桜町」「金井町」「田町」などと町のつく名前の信号が並ぶ。(五行川は小貝川に下館の先で合流する)
このため、住所表記では甲、乙、丙などという味気ない名前にこの町の名前を冠して呼んだりしているようだ。

この金井町に国道沿いに大きな寺あった。
入口に「天台宗極楽寺」と「下館成田山」の2つの石標が置かれていた。
極楽寺、成田山も名前は気になるが調べてもよくわからなかった。
歴史的な背景もほとんど知ることができなかった。
正式名称は「天台宗 無量寿山 往生院 極楽寺」で、 本尊は阿弥陀如来だそうだ。
立派な門構えなので中に入ってみた。

本堂。 寺の額は「極楽教寺」(明治42年再建) となっていた。

境内は大きな銀杏の木と景色のよいお堂が立ち並んでいた。

山門を入ってすぐ横にある鐘楼。
「朝覚醒 迷夢 夕開悟 佛道」と書かれていた。
悟りを開くとは?

地蔵堂
子安地蔵が祀られていた。

地蔵堂の隣にある「十王堂」
閻魔さまをはじめとした十王が祀られているのか? 内部はわからなかった。

不動堂。
立派な造りのお堂である。

入口の龍の彫り物は迫力があった。
堂の中は聖徳太子尊と書かれた赤提灯などがたくさんあり、「成田山」本尊をまつっているようだ。



なかなか綺麗なお寺でした。
しかし謂れなどが書かれてものがなく、私のような通りすがりの者にはよくわからずじまいでした。
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