fc2ブログ

経塚(3)

 今日は土浦市の東城寺の経塚です。場所は小町の里の少し西側です。
東城寺についてもとても面白かったので、また後で紹介しますが、筑波四面薬師の一つです。
さて、今回のテーマは経塚はこの寺の裏山100m奥にありました。
訪れたのは先週の土曜日です。東城寺の石段を上ってやっと境内に到着。すると7~8人位の年配の団体さんが来ていました。
「今日はこれだけお参りしたから、きっとさぞご利益があるよね」などと言っていましたので数か所を回ってきたのでしょうか。
私は一通り見てお参りを済ませて早速裏山へ。山道を登ること約100mとすぐです。

kyouzuka02_20110222210504.jpg

そこには番号がふられた12か所の経塚群がありました。日本三大経塚だそうです。
私が登ったので、何かあると後から団体さんがふうふういいながら登ってきました。
そして一言「なんだ。これだけか。」
そうなのです。たったこれだけの場所なのです。100mとはいえ山道を登ってこられて御苦労さまでした。
興味のない方にとっては何の変哲もない広場に過ぎません。少し余計なお世話とは思いましたが、経塚の説明を少しばかり披露しておきました。

kyouzuka01_20110222210504.jpg

筒に書かれた「天治元年」は1124年。「保安三年」は1122年。でしょうか。
石岡の親鸞の経塚はこれより約100年後であり、その他の北谷経塚などは約400年後となります。
末法思想の元年となるのは1052年(釈迦の死後1500年とされる)ともいわれているようですので、北谷・嘉良寿理経塚は、釈迦の死後2000年に大分近いことになりますね。

kyouzuka03.jpg

12か所の経塚は約20m四方くらいの山の斜面に点在しています。

ktyouzuka04.jpg

12か所の中でもNo.1の経塚は「大塚」といわれ、柵で囲って保護しておりました。(下)

kyouzuka05.jpg

この経塚の施主は常陸大掾である平(多気)致幹(むねもと)といわれており、石岡とも大いに関係しています。
致幹は北条(つくば市)にあった多気城を拠点としていたと思われますが、勢力を拡大し財力、文化力に優れていたといわれています。ここ東城寺は当時天台宗(現在は真言宗)で、この平致幹がこの寺を外護(げご)(特別に寺院などを保護すること)していたといわれています。
平致幹の娘と源氏の祖といわれる源頼義が一夜を共にして娘をもうけた(前九年の役の時)とされており、後三年の役の引き金にもなったというのも面白いですね。
また平致幹の孫の代で下妻氏や真壁氏が誕生します。

石岡にいると「常陸大掾」平氏の話は良く聞くのですが、この多気大掾時代の平氏はあまり話題になりません。もう少し大きく括って眺めてみないと全体像が見えないですね。
 

経塚の話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/24 19:28
コメント

管理者のみに表示