景清の娘「人丸」の墓

 今日は昼間はかなり暖かくなりました。
気温差が大きくなりこれからまた寒くなったりするようですので体調を崩すかもしれませんね。
年寄りは気をつけねばなりません。

今日は「まちかど情報センター」はお休みで風の会展はお休みでした。
今度の日曜まで開催していますが、土曜は会報の印刷日だし、日曜は前に勤めていた会社のOB会があり出かけます。

定年後は比較的、暇になり会社も昔の職場単位や同期の人たちとの集まりも増えました。
また来月初めには学生の時の仲間と東京で飲み会です。これも最近は年2回です。

集まると昔に戻りますが、後で写真などを見ると皆さん年とったのがよくわかります。
自分の年を考えると嫌になります。
でも年相応の人でいたいとも思いますが、うまく年輪を重ねると言うのは難しいですね。


 2カ月ほど前に鹿嶋市棚木にある「大福寺」を紹介しました(記事はこちら

その時に見落としていたものがあり、少し前にまた行ってきました。

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平家一番の武将として知られる平景清の娘「人丸」が景清の霊を弔うために日向国(宮崎)から景清の守り本尊を背をってこの地に来たとされています。

そしてこの大福寺に「妙庫塚」という人丸の墓があったのです。

見落としていたために再訪しました。
このようなことはよくあります。
調べるのが後になりますので、見落としに気がつくのです。
ですから2度3度と訪れることがよくありますが、これも近所であればよいのですが少し離れたところだと数ヵ月後になったりします。

最初に来た時は案内板もないのでどれかわからなかったのです。
でもよく見たらこの少しこんもり土が盛られた墓がそのようです。

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これが妙庫塚でしょう。人丸はこの地で「妙庫比丘尼」と名前を変え、女人救済につとめたそうです。

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大福寺から表通りに下りたところに「景清の松」という松の木があります。

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人丸がここの松の大木に小枝で棚を作って観音を安置したと伝わっています。
このためこの松を景清の松と呼び、ここの地名が「棚木」となったと言われています。

人丸はまずこの松の木に棚を作り平家の霊を都もらっていたと言います。
その後近くに大福寺(庵)を建て尼となって過ごしたようです。

前の松は昭和47年の台風で倒れてしまいましたが、今ではその後に松が植えられています。

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歌舞伎にもなった景清や人丸の話はどこまでが事実であるかはわかりません。
しかし人しれないこのような場所に昔から言い伝えられている話は事実かもしれないとも思われてきます。

小松寺(城里町)に伝わる「平重盛の墓」なども事実であるように思われますね。

常陸国に、あまり人しれずひっそりと眠っているところがありますね。

鹿島地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/05 21:05
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