筑波四面薬師(3) - 北面薬師(山寺)跡(その2)
今日は昨日の続きです。今日は雨ですが、山寺を訪れたのは先週の土曜日です。
まずは、周りの景色から・・・。
山寺入口の果樹園と梅の花。先に見えるのは小幡の街です。(下)

梅もすっかり咲いて素晴らしい里山の風情です。

十三塚地区も少し登っただけですが景色が素晴らしいです。十三塚から筑波への道は結構急坂となり、一気に視界が開けてくるので、楽しみたいのですが、冬は車は通行止めとなっています。

さて、この北面薬師(山寺)が廃寺となっているというので何ももうなくなっているのかと思いましたが、違っていました。
この寺にあった薬師様は、現在、麓の小幡地区にある「薬王院」に安置されています。薬王院は小幡の街から、「ゆりの里」の方に右折するすぐ手前右側です。


では、ここにあったお堂はどうしたのでしょうか?
実は府中(石岡)の街にあった国分寺が1908年に大火にあって焼けてしまいました。そこで、この山寺の山中薬師堂を1910年に移設したのです。意外に知られていないですね。

常陸国分寺跡に建てられた薬師堂(十三塚山寺から1910年に移設)。とても立派な薬師堂ですね。
国分寺ではお釈迦様の誕生日(4月8日)に花まつりが行なわれ、桜の満開の中で、この薬師堂の前も大変にぎわいます。こちらで大事にされているのです。
最後に、ここ十三塚の名前の謂れについて言い伝えとして残っている話を紹介します。
言い伝えの内容はいろいろとあっていくつもの話を読みましたが、その中で特に記憶に残った内容を紹介します。記憶をたどって書きますので、幾分違っているかもしれません。
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昔、筑波山を越えて、この地に一人の旅の僧侶が下ってまいりました。辺りも大分暗くなってきましたので、僧侶は近くにいた里人に「この辺りで泊めてくれる寺などはないだろうか?」と尋ねました。
里人は、「寺はこの先にあるが、今は無住で荒れ果てているので、この先の小幡の街まですぐだからそちらに泊まった方が良い」と勧めたのでした。
しかし、旅の僧侶は「そのようなところこそ私が泊まるのに適しているところだ」と山の寺に泊まることにしました。
僧侶が寺で眠りにつくと、枕元に大きな猫が現れて、「この寺には化け物の大ネズミが住んでおります。このネズミが人を食い殺したり悪さをしており困っておりますが、私一匹ではとても敵いません。私もネズミの言うことをきかないと殺されてしまいそうです。どうかお坊様の力で、他に11匹の猫を集めてきていただきたいのです。12匹の猫でこの化けネズミを退治したいと思います。そして、お坊様の法力を12匹の猫にお授けください。」
と告げます。そこで坊主は翌日、近くから大きな猫を11匹集め、寺に連れて戻りました。そして次の夜を迎えました。
すると、夜中にものすごい大きなうなり声やドタンバタンの大音響が響き渡りました。
これがしばらく続いたのですがやがて辺りは静かになりました。
朝になって見てみると、お寺の中にそれはそれは大きな一匹のネズミと12匹の猫が死んでいました。
僧侶は12匹の猫と1匹のネズミを丁寧に葬って塚を築いたのでした。
このため十三塚と呼ばれるようになったといいます。
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私がこの話を読んだ時は、この寺がどこの寺かなどと言うことは考えもしませんでした。
また伝わる話としては寺ではなく納屋であったり、廃屋であったりします。
しかし、この北面薬師の山寺にまつわる話ではないかと考えるようになりました。
どこにも書かれたものはありません。しかし、この山寺がもっともこの話にふさわしいと感じます。
この寺が何時ごろ無住の寺になったのかは知りません。矛盾もあると思います。
でもお話ですから、そんなに厳密に考えてはつまりません。伝説を生む地にふさわしいと思っただけです。
皆さんも一度訪れてみませんか?
奈良・平安からの風が頬にやさしく吹いてきますよ。
まずは、周りの景色から・・・。
山寺入口の果樹園と梅の花。先に見えるのは小幡の街です。(下)

梅もすっかり咲いて素晴らしい里山の風情です。

十三塚地区も少し登っただけですが景色が素晴らしいです。十三塚から筑波への道は結構急坂となり、一気に視界が開けてくるので、楽しみたいのですが、冬は車は通行止めとなっています。

さて、この北面薬師(山寺)が廃寺となっているというので何ももうなくなっているのかと思いましたが、違っていました。
この寺にあった薬師様は、現在、麓の小幡地区にある「薬王院」に安置されています。薬王院は小幡の街から、「ゆりの里」の方に右折するすぐ手前右側です。


では、ここにあったお堂はどうしたのでしょうか?
実は府中(石岡)の街にあった国分寺が1908年に大火にあって焼けてしまいました。そこで、この山寺の山中薬師堂を1910年に移設したのです。意外に知られていないですね。

常陸国分寺跡に建てられた薬師堂(十三塚山寺から1910年に移設)。とても立派な薬師堂ですね。
国分寺ではお釈迦様の誕生日(4月8日)に花まつりが行なわれ、桜の満開の中で、この薬師堂の前も大変にぎわいます。こちらで大事にされているのです。
最後に、ここ十三塚の名前の謂れについて言い伝えとして残っている話を紹介します。
言い伝えの内容はいろいろとあっていくつもの話を読みましたが、その中で特に記憶に残った内容を紹介します。記憶をたどって書きますので、幾分違っているかもしれません。
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昔、筑波山を越えて、この地に一人の旅の僧侶が下ってまいりました。辺りも大分暗くなってきましたので、僧侶は近くにいた里人に「この辺りで泊めてくれる寺などはないだろうか?」と尋ねました。
里人は、「寺はこの先にあるが、今は無住で荒れ果てているので、この先の小幡の街まですぐだからそちらに泊まった方が良い」と勧めたのでした。
しかし、旅の僧侶は「そのようなところこそ私が泊まるのに適しているところだ」と山の寺に泊まることにしました。
僧侶が寺で眠りにつくと、枕元に大きな猫が現れて、「この寺には化け物の大ネズミが住んでおります。このネズミが人を食い殺したり悪さをしており困っておりますが、私一匹ではとても敵いません。私もネズミの言うことをきかないと殺されてしまいそうです。どうかお坊様の力で、他に11匹の猫を集めてきていただきたいのです。12匹の猫でこの化けネズミを退治したいと思います。そして、お坊様の法力を12匹の猫にお授けください。」
と告げます。そこで坊主は翌日、近くから大きな猫を11匹集め、寺に連れて戻りました。そして次の夜を迎えました。
すると、夜中にものすごい大きなうなり声やドタンバタンの大音響が響き渡りました。
これがしばらく続いたのですがやがて辺りは静かになりました。
朝になって見てみると、お寺の中にそれはそれは大きな一匹のネズミと12匹の猫が死んでいました。
僧侶は12匹の猫と1匹のネズミを丁寧に葬って塚を築いたのでした。
このため十三塚と呼ばれるようになったといいます。
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私がこの話を読んだ時は、この寺がどこの寺かなどと言うことは考えもしませんでした。
また伝わる話としては寺ではなく納屋であったり、廃屋であったりします。
しかし、この北面薬師の山寺にまつわる話ではないかと考えるようになりました。
どこにも書かれたものはありません。しかし、この山寺がもっともこの話にふさわしいと感じます。
この寺が何時ごろ無住の寺になったのかは知りません。矛盾もあると思います。
でもお話ですから、そんなに厳密に考えてはつまりません。伝説を生む地にふさわしいと思っただけです。
皆さんも一度訪れてみませんか?
奈良・平安からの風が頬にやさしく吹いてきますよ。
国分寺薬師堂の縁起を始めて知りました。
ほえ~!という感動です。
移設からでも100年超えたということですね。
小中でも身近な郷土の歴史なんてまったく教えま
せんでしたね。戦前の全否定みたいな空気で、
文化的に断絶したまま過ごした少年時代だったの
かも知れませんね。
私もどこかでチラッと読んだだけでしたが、どういうわけか
あまりはっきり言いたがらないみたいで、市の歴史の本には
載っていません。
本堂を筑波から移したものとしか書かれていません。
隠しておく話でもなく、この薬師もとても素敵です。
内容を理解した上で、大切にしていきたいですね。
ブログも調べるのに最近は時間をとられています。
これからも時々応援にコメントください。