小栗の里散策(1)
小栗判官と照手姫や小栗10傑などで知られる小栗の里に行った。
前から一度行ってみなければとは思っていたが、その機会に恵まれなかった。
場所も今まで漠然と思い描いていたところからかなりずれていた。
小栗というのは石岡から見れば峠を越えて真壁を通り、その先の昔の協和町であり、石岡の山の麓の方にも小栗の殿様がやってきていた話などが結構残されている。
また小栗道なるものが石岡(常陸国府中)から筑波山の隣の湯袋峠を通り小栗に通じていた。
そのため、漠然としたエリアしか理解していなかったが、いってみたら筑西市(旧協和町)の北のはずれで、小貝川がすぐ横を流れ、少し行くと栃木県との県境であった。
古代の新治郡の郡衙跡や新治廃寺跡などが水戸線の新治駅近くの国道50号線沿いにあり、何となくこの近くの西側のような気になっていたが、もっとずっと北側であった。

これは大分前になるが、友人からもらったパンフレットであるが、真壁伝承館歴史資料館の企画展のもの。
小栗は筑西市になるが、この資料は桜川市の教育委員会がまとめたもので、茨城大や県教育委員会、県立歴史館、つくば市・土浦市・桜川市などの協力態勢でとりまとめがされている。
どういう訳か何時この手の集まりに石岡市の教育委員会の名前がない。
常陸風土記1300年記念で行なった「古代の道」などの調査研究やその発表などにも石岡は名を連ねていない。
従ってこの鎌倉道・小栗道などについても峠を越えて石岡側の記述は一つもない。
このパンフレットもまだまだ片手落ちという気はするが、今回は少しこれによる知識も踏まえて少しずつ紐解いてみたい。
まだ1度訪れてだけであるからこれから数度訪れなければ全容はわからないだろう。
途中に他の記事を挟みながらでも数度に分けて紹介して見たいと思います。

国道50号線の新治廃寺跡から少し下館寄りに「門井」という信号があり、ここから北の方に曲るとそこが小栗道です。
昔の小栗道はこの小栗から真壁の方に通じていたようです。
そして湯袋峠を通って府中(常陸国府)=石岡に通じていたのです。
この小栗に向かう道の両側は広々とした田が広がっています。
写真に見える小山の向こう側は栃木県の真岡市です。

この今の県道45号線をしばらく行くと道は2又に別れ、右は県道45号線で峠を越えて真岡市へつながっています。
左に行くと昔の小栗の町を通り突き当りに昔の小栗城跡と「内外大神宮」があります。

この分かれ道のところに大きな石碑が立っていました。
「小貝の沃野 今日小栗の地を拓く」(平成2年)と書かれています。
内容はこの地の農地を整備し、大型機械を導入できるようにまとめて、水路などを綺麗にまとめたようです。

「耕地整理竣功記念碑」です。
数回に分けてこの地を探索しながら小栗判官伝説の背景なども見ていけたらと思います。
まだ何の手がかりもなくどんなものが出てくるかもわかりませんが何もないようなところでも、この伝説が生まれ、歌舞伎などの重要な出し物になったのには何かが眠っているはずです。
神奈川県藤沢市の長生寺や、熊野にある「つぼ湯」も実際に残されていますのでただの作り話でもなさそうです。
前から一度行ってみなければとは思っていたが、その機会に恵まれなかった。
場所も今まで漠然と思い描いていたところからかなりずれていた。
小栗というのは石岡から見れば峠を越えて真壁を通り、その先の昔の協和町であり、石岡の山の麓の方にも小栗の殿様がやってきていた話などが結構残されている。
また小栗道なるものが石岡(常陸国府中)から筑波山の隣の湯袋峠を通り小栗に通じていた。
そのため、漠然としたエリアしか理解していなかったが、いってみたら筑西市(旧協和町)の北のはずれで、小貝川がすぐ横を流れ、少し行くと栃木県との県境であった。
古代の新治郡の郡衙跡や新治廃寺跡などが水戸線の新治駅近くの国道50号線沿いにあり、何となくこの近くの西側のような気になっていたが、もっとずっと北側であった。

これは大分前になるが、友人からもらったパンフレットであるが、真壁伝承館歴史資料館の企画展のもの。
小栗は筑西市になるが、この資料は桜川市の教育委員会がまとめたもので、茨城大や県教育委員会、県立歴史館、つくば市・土浦市・桜川市などの協力態勢でとりまとめがされている。
どういう訳か何時この手の集まりに石岡市の教育委員会の名前がない。
常陸風土記1300年記念で行なった「古代の道」などの調査研究やその発表などにも石岡は名を連ねていない。
従ってこの鎌倉道・小栗道などについても峠を越えて石岡側の記述は一つもない。
このパンフレットもまだまだ片手落ちという気はするが、今回は少しこれによる知識も踏まえて少しずつ紐解いてみたい。
まだ1度訪れてだけであるからこれから数度訪れなければ全容はわからないだろう。
途中に他の記事を挟みながらでも数度に分けて紹介して見たいと思います。

国道50号線の新治廃寺跡から少し下館寄りに「門井」という信号があり、ここから北の方に曲るとそこが小栗道です。
昔の小栗道はこの小栗から真壁の方に通じていたようです。
そして湯袋峠を通って府中(常陸国府)=石岡に通じていたのです。
この小栗に向かう道の両側は広々とした田が広がっています。
写真に見える小山の向こう側は栃木県の真岡市です。

この今の県道45号線をしばらく行くと道は2又に別れ、右は県道45号線で峠を越えて真岡市へつながっています。
左に行くと昔の小栗の町を通り突き当りに昔の小栗城跡と「内外大神宮」があります。

この分かれ道のところに大きな石碑が立っていました。
「小貝の沃野 今日小栗の地を拓く」(平成2年)と書かれています。
内容はこの地の農地を整備し、大型機械を導入できるようにまとめて、水路などを綺麗にまとめたようです。

「耕地整理竣功記念碑」です。
数回に分けてこの地を探索しながら小栗判官伝説の背景なども見ていけたらと思います。
まだ何の手がかりもなくどんなものが出てくるかもわかりませんが何もないようなところでも、この伝説が生まれ、歌舞伎などの重要な出し物になったのには何かが眠っているはずです。
神奈川県藤沢市の長生寺や、熊野にある「つぼ湯」も実際に残されていますのでただの作り話でもなさそうです。
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