小栗の里散策(3)-小栗城跡
小栗氏の家系についてはこの後でまた紹介したいが、常陸大掾職を与えられた平維幹(これもと)が多気(大掾)氏となり、潤沢な資産を背景に勢力を拡大していった。
この多気3代目多気大掾(平)重幹の子供、重義(四男?)がこの伊勢神宮領(真壁郡小栗邑)を与えられて「小栗氏」になったとされるので、この城もその頃に最初に築かれたとすると、西暦1100年前後の築城であろうか。
小栗判官の浄瑠璃(?)などのモデルとなったのは小栗家十五代の小栗小太郎助重であるが、話を調べるとなかなか面白い人物である。
ここで戦国期の小栗氏は滅亡している。
この城もその後に無くなってしまったのであろうか?
系図や小栗判官の話などはこの次に紐解くことにしましょう。

現地に置かれた城の地図であるが、なかなか凝った作りである。
本丸が一番山の上にあるが、すぐ裏(北側と北西側)は崖であり、小貝川が流れている。
また北西部の川沿いに船着き場があったようで、本丸から下りられるようになっている。
自然地形を生かした山城で、今でも城の昔の地形がわかるようだ。
古城ファンなら一度実際に見て見ると感じるものがありそうである。

内外大神宮から左側に回り込むと「小栗城跡」の大きな石碑があり、ここから城の本丸へは山を登ることになる。

道はしっかりと案内がされているので見間違うこともないと思うが、思ったより登りは長かった。

昔は山登りもしたが最近はすっかり鈍ってしまった足で登るのは息も切れる。
つい、あの先に見える階段を上ったところかと期待して登るが、また少し先に回るように道が続き、少しずつ高度を上げる。

登り道の途中で北側が見える場所があったが、その先にあるのは小貝川と真岡の町である。

一人では少し寂しいが誰もいない。夕日が傾きかけてくる。

程なく「本丸跡」に到着。

丸く開けた場所が広がっていたが、それほど大きなものではない。

下りは南西側から直接下る道があり、一気に下って下の通りに出た。

そこには夕日を浴びた「カラスウリ」の実が残っていた。
そ、真っ赤な秋の歌に出てくる「真っ赤だな、真っ赤だな、カラスウリって真っ赤だな・・・」である。
懐かしいね。

下りたところは小貝川との間に田畑が広がっていたが、もう夕日が沈む。
早く家に戻ろうとこの日は早々と家路についた。
また先日見残したところを探して行ってきたので「小栗判官と照手姫」の話などを少し調べて、その後に紹介しましょう。
この多気3代目多気大掾(平)重幹の子供、重義(四男?)がこの伊勢神宮領(真壁郡小栗邑)を与えられて「小栗氏」になったとされるので、この城もその頃に最初に築かれたとすると、西暦1100年前後の築城であろうか。
小栗判官の浄瑠璃(?)などのモデルとなったのは小栗家十五代の小栗小太郎助重であるが、話を調べるとなかなか面白い人物である。
ここで戦国期の小栗氏は滅亡している。
この城もその後に無くなってしまったのであろうか?
系図や小栗判官の話などはこの次に紐解くことにしましょう。

現地に置かれた城の地図であるが、なかなか凝った作りである。
本丸が一番山の上にあるが、すぐ裏(北側と北西側)は崖であり、小貝川が流れている。
また北西部の川沿いに船着き場があったようで、本丸から下りられるようになっている。
自然地形を生かした山城で、今でも城の昔の地形がわかるようだ。
古城ファンなら一度実際に見て見ると感じるものがありそうである。

内外大神宮から左側に回り込むと「小栗城跡」の大きな石碑があり、ここから城の本丸へは山を登ることになる。

道はしっかりと案内がされているので見間違うこともないと思うが、思ったより登りは長かった。

昔は山登りもしたが最近はすっかり鈍ってしまった足で登るのは息も切れる。
つい、あの先に見える階段を上ったところかと期待して登るが、また少し先に回るように道が続き、少しずつ高度を上げる。

登り道の途中で北側が見える場所があったが、その先にあるのは小貝川と真岡の町である。

一人では少し寂しいが誰もいない。夕日が傾きかけてくる。

程なく「本丸跡」に到着。

丸く開けた場所が広がっていたが、それほど大きなものではない。

下りは南西側から直接下る道があり、一気に下って下の通りに出た。

そこには夕日を浴びた「カラスウリ」の実が残っていた。
そ、真っ赤な秋の歌に出てくる「真っ赤だな、真っ赤だな、カラスウリって真っ赤だな・・・」である。
懐かしいね。

下りたところは小貝川との間に田畑が広がっていたが、もう夕日が沈む。
早く家に戻ろうとこの日は早々と家路についた。
また先日見残したところを探して行ってきたので「小栗判官と照手姫」の話などを少し調べて、その後に紹介しましょう。
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