小栗の里散策(6)-小栗判官(助重)の供養塔と一向寺

 小栗判官のモデルとなったとみられている小栗氏最後の城主 小栗(平)助重の建立(再興)した寺という太陽寺は昨日書いたように廃寺となって今は無い。
そこに十四代城主満重と十勇士を祀る「九重層塔と10基の五輪塔」が置かれているが、助重(判官)と照手姫を祀っているのが今回紹介する一向寺と言うようだ。

「ようだ」と書いたが、これは詳しく知らないので調べて見るがはっきりと紹介されているものは少ないようなので「ようだ」と書かせていただいた。

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寺の門を入って右手に大きな五輪塔と歴代住職の墓標?、並んで古びた板碑や五輪塔などが置かれており、その裏手に古びた板碑も置かれている。

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どうやらこの左手の古びた墓のような墓碑群が小栗助重と照手姫の供養塔のようだ。

三代目市川猿之助の奉納した碑が立てられている。

助重の墓とか照手姫の墓であるとの説もあるようだが、はっきりせず現在は供養塔とのみ表示している。

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また貞治三年(1364)の南北朝の北朝の年号が彫られた板碑があると言うのはかなり貴重なものであろう。

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寺の本堂手前に「小栗判官説話発祥地の碑」という石碑が置かれていた。
なかなか興味深いので、下記に文字に起こしておきます。

「小栗の物語は民衆が生んだ壮大なロマンである。伝承によると祖は、桓武平氏の流れの平重家。常陸国小栗邑(協和町)に小栗姓を名乗り築城、十五代、約三百年間続いた名家。
 代々、小栗御厨(伊勢神領)の在地領主を務めたが、応永の戦乱で落城した。十四代満重は死、その子、助重はかろうじて脱出した。
 後の結城合戦で功を立て再興したが、次の合戦に敗れ、三河(愛知)に落ちて行く。この助重が世上知られた説経「小栗判官」に相当すると云う。助重の波乱万丈の生涯は説話の格好の素材となった。原型は一向寺などに拠る時衆(宗)の沙弥、巫子たちが小栗と郎党の霊を慰撫する為語り始め、時宗本山遊行寺(清浄光寺)に伝えられた。更に青墓(岐阜)和泉(大阪)などの遊芸人、熊野の比丘尼達が唱導文芸として創り膨らませ、伝播させた。
 江戸期、近松門左衛門の浄瑠璃「当流・小栗判官」が人気を呼び、以后、様々な小栗ものが登場した。実像の小栗は常陸が本地だが、ここに虚像の小栗ものが入り、説話として今日に語り継がれて来た。小栗の郷は小栗判官説話発祥の地である。

   桂北山一向寺五十八世 吉水徳誉了信 」 
     (訂正:2016.8/24 ご住職のお名前が違っていましたので訂正しました。ご指摘ありがとうございました。)

この説明は比較的わかりやすいと感じたので文字に起こしました。

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旧道にある「桂北山一向寺」入口 この入って右手に助重供養碑がある。

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入口前は広く駐車場になっていてその一角に古びた六地蔵が置かれていた。

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更に手前の離れたところに本来の山門があった。
こちらが昔の入口なのだろう。参道が長い。

こちらも道路に面しているが、するとこの山門の通りが昔のとおりだろうか。

今日は寒くなってきました。
北海道は大雪が降っているそうです。

急に暖房が恋しくなりました。ストーブやエアコンも今日は出動です。

明日は銚子に出かけます。
こんなに寒くないと良いのですが・・・・。



小栗の里散策 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/11/25 21:57
コメント
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鍵コメ様
こんばんは。

コメントいただきありがとうございます。
ご住職のお名前は間違えてしまい申し訳ございません。訂正させていただきました。

ご質問の件ですが、残念ながら、全くの心当たりも知識も持ち合わせていません。

よろしくお願いいたします。

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