小栗の里散策(8)-徳聖寺
小栗の里ということでまず「内外大神宮」を目指すことにした時にまず手前で目にとまった寺が今回紹介する「徳聖寺」です。
「松原山 持寶院 徳聖寺」 創建は大同2年(807)と伝わります。

市指定文化財の山門です。
建立は江戸時代。
火災で寺が焼失した跡に建てなおされた文政年間(1818年~1830年)にこの山門も建てられたと考えられています。
鐘楼が一体となった山門だそうですが、ここに鐘楼はありません。
屋根は大正7、8年頃に草葺きから瓦葺きに替えたと説明板がありました。

本尊は薬師三尊。真言宗 豊山派
昔、内外大神宮の隣に高台院という寺があり、この寺が大同2年の建立で、この寺とこちらの徳聖寺(江戸時代初期の建立?)が一緒になったそうです。
高台院の方が古い寺であり、本尊も大日如来だそうですが、こちらの開山も法印海寛僧正が京都から御本尊(薬師三尊)をもってきたようです。

寺のHPをみると、ここ小栗の徳聖寺と桜川市西飯岡の満願寺は一体の運営がされているようです。

落ち葉が散る庭を住職さん?と若者が盛んにきれいに掃き清めておりました。

また横を走る昔の通り沿いには古びたお堂が並んでいました。

この通りをそのまま行くと内外大神宮に行きます。

小栗は筑西市ですが、合併前は協和町でした。
協和町の特産は「こだまスイカ」、「キュウリ」などです。
小栗城も山城で裏は小貝川で守られるような地形ですが、これもほんのそこだけの一角で、その手前はだだ広い田畑が広がっているだけです。
守るのも意外に難しいように思います。
「松原山 持寶院 徳聖寺」 創建は大同2年(807)と伝わります。

市指定文化財の山門です。
建立は江戸時代。
火災で寺が焼失した跡に建てなおされた文政年間(1818年~1830年)にこの山門も建てられたと考えられています。
鐘楼が一体となった山門だそうですが、ここに鐘楼はありません。
屋根は大正7、8年頃に草葺きから瓦葺きに替えたと説明板がありました。

本尊は薬師三尊。真言宗 豊山派
昔、内外大神宮の隣に高台院という寺があり、この寺が大同2年の建立で、この寺とこちらの徳聖寺(江戸時代初期の建立?)が一緒になったそうです。
高台院の方が古い寺であり、本尊も大日如来だそうですが、こちらの開山も法印海寛僧正が京都から御本尊(薬師三尊)をもってきたようです。

寺のHPをみると、ここ小栗の徳聖寺と桜川市西飯岡の満願寺は一体の運営がされているようです。

落ち葉が散る庭を住職さん?と若者が盛んにきれいに掃き清めておりました。

また横を走る昔の通り沿いには古びたお堂が並んでいました。

この通りをそのまま行くと内外大神宮に行きます。

小栗は筑西市ですが、合併前は協和町でした。
協和町の特産は「こだまスイカ」、「キュウリ」などです。
小栗城も山城で裏は小貝川で守られるような地形ですが、これもほんのそこだけの一角で、その手前はだだ広い田畑が広がっているだけです。
守るのも意外に難しいように思います。
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