小栗の里散策(9)-新治郡衙

茨城県筑西市の小栗地区の紹介をしています。
元協和町は小玉スイカやキュウリ、トマトなどの栽培が盛んなようです。

小栗城は1100年頃から300年ほど栄え、攻防を繰り返し1450年頃に消えっていきました。
しかし小栗判官として神奈川県藤沢や熊野の方に説話として物語が語り継がれ、浄瑠璃や歌舞伎の題材になりました。

実際に起こったことから話は大きく作られた物とはなっていても、そこにはここで栄えた平氏の一族としての誇りがあり、鎌倉末期の争いに巻き込まれ、この小栗の里には昔の跡を偲ぶものはかなり少なくなっていました。

小栗から常陸国府の府中(現石岡)との間に小栗街道と言う道があったようです。
小栗から新治、真壁(白壁)を通り、湯袋峠を越えていたようです。

今日は、昔の新治(にいはり)郡の郡衙(ぐんが)の跡を見てきましたので紹介します。

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場所は筑西市古郡(ふるごおり)と地名でもその名が残る場所です。
でもまわりは畑で、道も国道50号線から東南に比較的細い道を入っていきます。

真中の石碑は「史跡 新治郡衙跡」と彫られています。

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右側の少し高い石碑には「史跡 新治群家 不動倉址」と彫られています。

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まわりは一面野菜畑のようです。つくばの山並みなども遠くに見えます。

昭和16年と18年の発掘調査で、約12ヘクタールの広大な範囲に4つにわかれた建物群が存在し、全部で51棟の建物の存在が確認されています。そして日本で初めて郡家(郡衙)の遺構であることが確認された記録的な遺跡です。

かなり大掛かりですね。筑波郡衙である平沢官衙が建物を復元したりして公園化されているのですが、こちらはひっそりとこの2つの石碑と説明板があるだけです。

そして駐車場もないので長く停車していることもできず、遠くの山々や周りに広がる畑を吹き抜けるさわやかな風を感じて少し後ろ髪を引かれながら引き揚げました。

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説明板によると東部地域の13棟倉庫跡があり、日本後紀に「弘仁八年(817)冬十月癸亥 常陸國新治郡災。焼不動倉十三宇。穀九千九百九十斛」と書かれており、この不動倉13棟と穀9990石を焼失したことが書かれていることの裏付けと考えられています。

このような場所はもう少し整備して大切に残してほしいものです。

小栗の里散策 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/28 21:04
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