小栗の里散策(10)-新治廃寺跡
今日はギター文化館で25絃箏奏者の中川果林さんの演奏会を聞きに行ってきました。
とても素晴らしい演奏でした。
こちらはまた後で紹介します。
昨日の新治郡衙跡のすぐ近くにある新治廃寺跡を紹介します。
国道50号線に沿った場所になり、通りからも見ることができますが、残念ながら街道沿いは草で覆われてそれと知らなければ気が付きません。

国道横の畑一帯に群の寺があり、幾つもの塔がそびえていました。
いまは金堂跡に大きな木が聳え、少し離れた場所に東塔と西塔があった場所にそれぞれ石碑が立っています。

こちらが東塔跡です。

西塔跡です。

金堂跡近くに塔の礎石(?)が置かれていました。

この木は何時頃植えられたものでしょうか。
この新治廃寺は奈良朝前期の末頃には常陸国新治郡の大領新治直家を中心に建てられ、平安初頭弘塵年(817)の火災で焼失したと考えられている。(現地説明板)
昨日紹介した新治郡衙跡と共に国指定史跡に指定されています。

この金堂と東西の塔の場所から北側に離れた場所にあるのが講堂跡だ。

これが配置図で、回廊が取り囲んでいる。
この図を見ていたら石岡の国分尼寺の配置が思い浮かんだ。よく似ている気がする。

こちらが石岡にある常陸国分尼寺の配置だ。
比べて見るとやはりかなり違うようだ。
しかしこの図の北方建物群というのは食堂や尼僧のいた建て物なので同じような配置で、やはり回廊がまわりを囲んでいる。
とても素晴らしい演奏でした。
こちらはまた後で紹介します。
昨日の新治郡衙跡のすぐ近くにある新治廃寺跡を紹介します。
国道50号線に沿った場所になり、通りからも見ることができますが、残念ながら街道沿いは草で覆われてそれと知らなければ気が付きません。

国道横の畑一帯に群の寺があり、幾つもの塔がそびえていました。
いまは金堂跡に大きな木が聳え、少し離れた場所に東塔と西塔があった場所にそれぞれ石碑が立っています。

こちらが東塔跡です。

西塔跡です。

金堂跡近くに塔の礎石(?)が置かれていました。

この木は何時頃植えられたものでしょうか。
この新治廃寺は奈良朝前期の末頃には常陸国新治郡の大領新治直家を中心に建てられ、平安初頭弘塵年(817)の火災で焼失したと考えられている。(現地説明板)
昨日紹介した新治郡衙跡と共に国指定史跡に指定されています。

この金堂と東西の塔の場所から北側に離れた場所にあるのが講堂跡だ。

これが配置図で、回廊が取り囲んでいる。
この図を見ていたら石岡の国分尼寺の配置が思い浮かんだ。よく似ている気がする。

こちらが石岡にある常陸国分尼寺の配置だ。
比べて見るとやはりかなり違うようだ。
しかしこの図の北方建物群というのは食堂や尼僧のいた建て物なので同じような配置で、やはり回廊がまわりを囲んでいる。
https://www.city.ishioka.lg.jp/page/page003495.html
> 茨城廃寺の展示が石岡の歴史館でやっていますね
情報ありがとうございます。行って見ましょう。