筑波四面薬師(5) - 椎尾薬師(桜川市)
筑波四面薬師の最後は、桜川市の薬王院です。昨日UPする予定でしたが時間がなく今日になりました。
場所は(桜川市)真壁町の椎尾(しいお)です。名前の通り椎の木が生い茂る山です。
この椎尾山薬王院は桓武天皇の勅願所として、延暦元年(782年)最仙上人が天台宗の寺として創建したといわれています。
一昨日のブログで書いた土浦市の東城寺と同じ最仙上人ですが、こちら方が14年程前になります。
こちらも鎌倉時代に小田家の庇護を受けて真言宗に改宗しています。

椎尾山薬王院の入口。ここから道は山へ、いくつものカーブを登っていきます。道は舗装されており車もすれ違えるので、比較的走りやすいです。

この地は昔から椎の木が多かったようで、樹齢500年近いスタジイの樹叢は県の天然記念物に指定されています。現地の説明看板によると椎尾は昔「志いのを」といわれたといいます。どういう意味でしょうか?

寺の入口部に建つ仁王門は、1687年に大工棟梁桜井瀬兵衛に完成したものです。立派な造りで見ごたえがあります。市指定文化財です。この門の両サイドには大きな履物が飾られていました。この寺に参拝する時に関係した履物?とも思いましたが、ここは先日ブログで紹介した足尾山の足尾神社と大いに関係があるのかもしれません。
また門の中央の頭上部分には、大きな龍の彫り物があります。

この薬王院はこのスタジイの自然豊かな中に美しく聳える三重塔がやはりシンボルです。
本当に美しいと思います。
江戸時代 宝永元年(1704年)の建立で銅板葺で、高さは25mです。県の文化財に指定されています。

本尊である薬師瑠璃光如来像(鋳造)は鎌倉時代の作で三重の塔と共に県の文化財に指定されています。

本堂は1680年の建立で、市の文化財です。病気平癒、眼病平癒、子授けなどにご利益があるとされています。
この薬師も現地に行って徳一法師の名前は何処にもありません。しかし、関係があったとする伝聞もあるようです。なかなかわからないですね。
この椎尾山からは筑波山への登山道(男体山へ)があります。とても美しい寺だと思います。
場所は(桜川市)真壁町の椎尾(しいお)です。名前の通り椎の木が生い茂る山です。
この椎尾山薬王院は桓武天皇の勅願所として、延暦元年(782年)最仙上人が天台宗の寺として創建したといわれています。
一昨日のブログで書いた土浦市の東城寺と同じ最仙上人ですが、こちら方が14年程前になります。
こちらも鎌倉時代に小田家の庇護を受けて真言宗に改宗しています。

椎尾山薬王院の入口。ここから道は山へ、いくつものカーブを登っていきます。道は舗装されており車もすれ違えるので、比較的走りやすいです。

この地は昔から椎の木が多かったようで、樹齢500年近いスタジイの樹叢は県の天然記念物に指定されています。現地の説明看板によると椎尾は昔「志いのを」といわれたといいます。どういう意味でしょうか?

寺の入口部に建つ仁王門は、1687年に大工棟梁桜井瀬兵衛に完成したものです。立派な造りで見ごたえがあります。市指定文化財です。この門の両サイドには大きな履物が飾られていました。この寺に参拝する時に関係した履物?とも思いましたが、ここは先日ブログで紹介した足尾山の足尾神社と大いに関係があるのかもしれません。
また門の中央の頭上部分には、大きな龍の彫り物があります。

この薬王院はこのスタジイの自然豊かな中に美しく聳える三重塔がやはりシンボルです。
本当に美しいと思います。
江戸時代 宝永元年(1704年)の建立で銅板葺で、高さは25mです。県の文化財に指定されています。

本尊である薬師瑠璃光如来像(鋳造)は鎌倉時代の作で三重の塔と共に県の文化財に指定されています。

本堂は1680年の建立で、市の文化財です。病気平癒、眼病平癒、子授けなどにご利益があるとされています。
この薬師も現地に行って徳一法師の名前は何処にもありません。しかし、関係があったとする伝聞もあるようです。なかなかわからないですね。
この椎尾山からは筑波山への登山道(男体山へ)があります。とても美しい寺だと思います。
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