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筑波四面薬師(6) - 椎尾薬師(2)

 毎年花粉症で悩まされ、この時季がくると活動ができなくなるのは困ったものだ。
あと1カ月くらいはおとなしくして居るしかない。
今日は確定申告書を作成して電子申告をやっと済ますことができた。
去年からe-Taxを導入したが、その後パソコンを新しくしたのでソフトをダウンロードしたり、去年のデータを探したり半日以上かかってしまった。
また去年と今年で同じトラブルが起こった。データ送信でICカードの読み取りにエラーがでた。パソコンを立ち上げなおして、再送信したらうまくいった。何故か?
簡単なようで年に1回しか操作しないので覚えていられない。

 さて今日は、そのなことでいつもなら休みの日にデータを少し書きためているのだが、あまりストックもないので、昨日最後といって紹介した椎尾薬師の続きを書きます。
この薬師(薬王院)はその山門や三重塔も素晴らしいのですが、少しまわりに気になるところがありました。

まずは鐘楼です。写真のバックに見えるのが三重塔(きれいですね)、右手が本堂で瑠璃殿です。
この鐘楼について「土井晩翠」の漢詩の碑があります。
暁鳴鐘鼕鼕梵刹清 綈袍戀戀有故人意
(暁に打つ鐘の音はとうとうと響いて、寺が清らかである。その音色は故人の温情と恋慕う意がある。)

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本堂の手前の建て屋側に「ふどうの水」なる湧水があります。恐らく昔から清らかな水がわき出ていたのでしょう。不動明王を祀っています。(ひらがなでかかれていますが不動の水?でしょうか)

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さて、山門から下りずに脇の道から下りたら面白い碑が立っていました。

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原石(あらいし)を七曲り越え 不動越え 馬車で運んで 手造り仕上げ  要一

昭和十三年本堂東の軒下で要一がお寺の仕事をしていた頃、お寺の墓の上り口に七寸丸位の杉の木がありました。 それはいつも虫に食われやにを流している可哀そうな杉の木でした。 ところがそれから五十余年の歳月がたち、今では見事な大杉になりました。
私達はその杉の木を見るたびに少年の日を思い出し、杉の木様と呼びたくなります。  要一文
  (昭和十三年当時   石工要一 十七才)

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この寺をこよなく愛したという「平良兼公」の碑がありました。平良兼は上総の介としてやってきた平高望の次男です。高望の長男は国香です。また良兼は将門の伯父にあたります。
真壁町羽鳥にこの平良兼の城(館)があったといわれています。

平将門はこの伯父良兼の娘良子を掠奪し、それが将門の対立につながっていったなどとする話もあった。
海音寺潮五郎の将門を描いた小説「風と雲と虹と」にもこの辺りの話もでてきたような・・・。
また菅原道真の第三子である菅原景行がこの椎尾の里に住んでいたとか・・・・。
また菅原景行が父道真をひそかに羽鳥の地に埋葬した(天神塚古墳)とかいろいろと伝わっています。

明日はギター文化館に行きます。職場に来ているフィリピン人を一人誘っています。
どんな感想を持つか知りたいので・・・。本人は喜んでいたが、いい迷惑かな?
ことばの理解が少なくてもある程度感じるところがあると思っています。
 

筑波四面薬師 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/03/05 17:24
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