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高浜と筑波山

 昨日は恋瀬橋からの筑波山の眺めを紹介したが、今回はやはり正月1日朝の高浜の愛郷橋からの筑波山と恋瀬川である。

ここから見る筑波山は本来は常陸国風土記に歌われたように昔は川遊びなどを楽しんだ場所であったのだろう。
この場所は恋瀬川には千代田の方を流れてきた天の川が合流した後で川幅も広くなっている。

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ここが川のもっとも下流に近くすぐに霞ケ浦に注ぐ。

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なかなかのどかな風情だが、高圧線の鉄塔が邪魔になる。

昔の古代東海道はどの辺りでこの川を渡ったのだろうか?
「かいつづみ」と言われるのはどの辺りだろうか?

「かいつづみ」は八幡太郎などの軍勢がこの湿地帯で歩行困難となった時に付近に群生する茅を刈り取って集めそれを踏みしめて何とか無事に進むことができたため「茅堤」と言う名が付いたという伝承が残る場所です。


恋瀬川と筑波山 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/01/04 19:30
コメント
No title
遅れ馳せながらあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

古代まで遡るとなると、川や湿地帯は今とは相当に違う姿だった可能性が高いですから、近代以降の地形図だけではなかなか想像が付きにくいですよね。
kanageohis1964 様
こちらこそ本年よろしくお願いいたします。

> 古代まで遡るとなると、川や湿地帯は今とは相当に違う姿だった可能性が高いですから、近代以降の地形図だけではなかなか想像が付きにくいですよね。

確かにそうですが、常陸国国府に向かう古道も1000年~1300年ほど前なので縄文海進もある程度おさまっていたと思われます。
しかしこの上流までヤマトタケルが舟で登ってきたとの言い伝えは結構あります。

舟塚山古墳なども近いので6世紀頃にはこの川を渡ってきたのでしょうし、もう少し上流の浅瀬を馬で渡る時代もあったのでしょう。
もっとも古東海道は牛車で移動してもいたのでどうしていたのでしょうね。

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