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五輪堂橋と筑波山(夕景)

 恋瀬川に架かる橋は高浜から上流にかけて「愛郷橋」、「常磐線鉄橋」、「平和橋」(中津川)、「恋瀬橋」(6号国道)、「府中橋」「粟田橋」、「五輪堂橋」・・・・となる。

この五輪堂橋だが1年ほど前に新しくきれいな橋が少し上流側に架け直されたが、それまでは大雨が降ると危険な状態の橋であった。
このあたりはおかしな地形で石岡市とでかすみがうら市(旧千代田町)との市境が川の中心部で分かれるのだが、この辺りだけが入り乱れている。
その原因はよくわからないが歴史的な経緯があるように思う。

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本日夕方に新しい五輪堂橋にいって見た。
曇っていてどうかと思ったが夕焼けがきれいに現れた。
筑波山も見える。

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今の橋は川が増水して水位が上昇しても心配がないが、昔の橋は低いところに架けられていたために増水すると危険が生じた。
まあ橋は粟田橋がもっと前にきれいになっていてこちらに迂回すればあまり不便もなかったと思う。

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昔、常陸国府(府中=現石岡)から筑波山への道としてもっとも古くから知られた府中街道があったと言われている。
この街道が恐らくこの辺り(もっとも川幅が狭い)で川を渡り、権現山などを通って青柳方面へ出ていたものと考えられている。

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新しい橋の上から旧橋の方を見下ろすが、今ではすでに橋は撤去されて無くなっている。
写真の木々の手前に土塁などが積まれているが、そこに旧橋があった。

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万葉の頃にこんな場所を通っていたのを想像する人はほとんどいない。

「筑波嶺の峰より落つるみなの(男女)川 恋ぞつもりて淵となりける」

という有名な歌があるが、この男女川(みなのかわ)が今では筑波山から桜川に流れる川とほとんどの書物に書かれている。

でも当時の地形や情勢からしてこの恋瀬川である可能性が高いと私は考えている。

みなの川も「水無川」、「男女川」、「蜷(みな)の川」(蜷(みな):タニシのような貝が棲む濁った川)などと解釈も分かれる。
しかし当時の常陸国府から筑波山を眺め、こちらからの登山ルートがメインであった当時の姿を目に浮かべれば、恋瀬川(表川、志筑川、小泊瀬川、・・・) などがこの歌の川であるという考えをどうしても捨てきれない。


恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/01/05 20:36
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