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御野立所のある権現山には中世の城跡があった

 昨日紹介した御野立所は初めて訪れたが、眺めの良い事と共に土塁が残され中世の城があった遺構が残されていた。

場所は志筑から百体磨崖仏のある閑居山(標高220m)の尾根続きの一番先端部(五輪堂側)で、山というより山の入口の少し鞍端と言った場所だ。
わざわざ山の名前をつけるまでもない三角点であるが、ここには名前の基となった権現様(熊野権現?)が祀られている。

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御野立所の石碑の隣りに権現様の祠が置かれている。

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この高台の見晴らし所(御野立所)からいったん下がってその先が山の頂点のようだ。

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そこには明らかに城の土塁の跡と思われる人工的な遺構が残されていた。

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こんなところにも城があったのかと今更ながら感心したり・・・・。
志筑城は志筑小学校が数年前まであった場所にあったが、この山の城は今まで聞いたことがなかった。
説明によれば鎌倉時代の茨城南部地頭であった益田氏が作った砦という説と、小田氏一門であった志筑左近が據った山城であるとの説があるという。

どちらにしてもかなり古そうだがこれだけ土塁の跡がまだ残っているのにも驚きである。

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そしてこちら側の山の上にも「大元帥陛下御統監聖蹟」と彫られていた。

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こちらは御野立所に続く登り道。(写真の右側が果樹研究所)

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山の入口には果樹研究所の敷地が広がる。

志筑・かすみがうら地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/01/10 21:49
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