潮来の大六天神社はこの地(大洲)の開拓の歴史が刻まれていた。

 潮来の大洲にある大六天神社に置かれた碑によるとこの地の開拓と水害の記録が見えてきた。

潮来のアヤメ園から東側の地区は先の東日本大震災でも液状化でかなり道路も凸凹になり地盤の悪さが目立った。
霞ケ浦も昔はこの辺りは水面下であったのかもしれない。

利根川の東遷で大量の土砂などで大きな洲ができ、江戸時代にはこの地を開拓して水田が広がった。

PC140029s.jpg

神社の境内を入った右側にこの経緯が彫られた石碑が置かれている。

その最初のところを下記に書き下ろしてみた。

「今より392年前天正5年北浦の浪逆寄洲に祖先が7軒居住し7軒島と称す。忍耐と努力を重ね新田を開拓し、水禍に嘆き苦しつつ郷土の基となる寛永18年330年前大洲新田として年貢を上納するに至り、天保15年常陸国大洲村戸数60戸となる。明治9年潮来町と合併し今日の潮来町大洲戸数84戸となる。・・・・・・・」(昭和47年建之)

何故か神社の歴史よりもこのようなことが書かれているとこの地の先祖の苦労が伝わってくる。

PC140029s2.jpg

「かりかけし 田面の鶴や さとの秋  はせを」 の碑 (明治9年建之)
(松尾芭蕉の鹿島紀行の中にある句:稲を刈りかけた田んぼで、鶴が餌をついばんでいる)

芭蕉は鹿島紀行でこの辺りを通ったのだろうか? 確かにこの句もこのあたりと考えられなくもない。

PC140031s.jpg

PC140033s.jpg

境内には庚申塔など幾つもの石碑が置かれている。

PC140032s.jpg

大六天神社拝殿。

PC140034s.jpg

大六天神社本殿。

この大六天は何時頃の創建かは定かではないそうだが、天保5年(1834)に再造営された棟札あり、それ以前であるという。

大六天(第六天)は仏教でいうところの仏道を妨げる魔王で、欲界を支配している最強の摩王です。
他化自在天ともいわれ、人の快楽を自由に自分の快楽にしてしまう力を持つと言われています。
織田信長が第六天魔王を自称したとも言われています。

天保の頃の祭神は素盞鳴命で、現在の祭神は「高御彦霊神」だそうです。どのように変わってきたかは不明。

この大六天神社は、千葉県香取郡山田町山倉の山倉大六天神社より分礼祀されたものと思われ、小泉地区の代神として祀っていたが、途中鹿島吉田神社の境内に移し、数年後に現在地に移され、昭和46年潮来有料道路新設に伴い移転新築されたという。

鹿島吉田神社は延方相撲が有名で、この始まりの経緯などは前に書いた。(こちら

PC140035s.jpg

向かって大六天神社の拝殿の右側に「水神社」が置かれていいます。
寛文3年の創立と推定されています。


潮来地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/01/16 21:56
コメント

管理者のみに表示