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ガマの穂綿? 阪神・淡路大震災21年目の今日思うこと。

 因幡の白兎(歌は大黒様)の歌詞の2番にでてくる「ガマの穂綿」ってこんなものだったのですね?

  「大黒さまの いうとおり
  きれいな水に 身を洗い
  がまのほわたに くるまれば
  うさぎはもとの 白うさぎ」

皮をむかれて 泣いていた白兎(うさぎ)に大黒様が教えたのが
 「きれいな水に身を洗い がまのほわた にくるまれ」 でした。

先日石岡の西南側の半田地区に行ってきました。
この時に見つけた綿がかたまったような奇妙な穂がたくさんありました。

穂綿01

少し気持ちが悪いですよね。
何かの形に見えなくもありません。

よく見ると綿毛の中心部にはよく見なれたガマの茶色の穂が少し残っています。
ガマの穂は中から綿毛がたくさん飛びだして風に飛ばされるのだそうです。
でもこうしてしばらくの間綿毛が固まったように見える場合もあるようです。
これを穂綿というのだそうです。

穂綿02

昔はこれをあつめて布団などにも使ったそうです。

面白いですね。

さて、今日は阪神・淡路大地震の発生から21年目だそうです。
もう21年も経つのですね。

あの時の光景は今もはっきり覚えています。

朝早く起きた地震で、テレビから徐々に伝わる映像が最初はそれ程でもないと思ったものが、どんどん被害の映像が映され、死傷者の数もどんどん増えていきました。

家内は西ノ宮にいたよく面倒を見てくれていた親戚と連絡が取れず、情報もひどい様子が伝わってきて、心配になり近くを走る電車も不通で車も走れそうにないのをわかっていたが、止むに止まれず新幹線に飛び乗って近くまででも行ってくると出かけました。

一つ手前の駅までどうにかたどり着き、歩いてその家に行って見ると家は倒壊して見る影もなかったそうです。
幸い、寝ていた上に倒れた箪笥の下敷きから運良く避けて怪我もなく無事だったそうです。

私の生まれ故郷(小千谷、長岡)でもそれから9年半後に新潟県中越地震が起こりました。
私の親戚も、その後、家に中では寝られず車の中で何日か夜を過ごしたそうです。

そしてさらにその6年半後に東日本大震災が起こりました。

津波の被害も本当に悲惨でした。
その後すぐに仙台を訪れ、津波の跡も見ました。ボランティアもたくさん来ていました。

福島原発事故はこれまでの自然災害とは全く違った人災でした。
また懲りもせずに原発を再開していますが日本では原発はもうやめてほしいと思っています。
ゴミが処理できないのでは話になりません。
また危機管理やリスク分散、予防保全、安全率の考え方が今でもどうも心配でたまりません。

家内は福島の避難民の仮設住宅が集中しているいわき市の高久地区に毎週土曜日に出かけています。
震災後半年くらいからすでに4年以上経ちますので、もう200回以上通っています。

徐々に復興もしており、復興住宅や新しく家を建てたり老人ホームに入ったりして避難者も幾分減りましたが、まだ多くの方が残っています。
来年3月頃には多くの方がこの仮設からは移られると思いますが、故郷に戻れない人や戻っても放射能は心配だし、インフラの整備やお店などの復旧もまだまだです。

こんなことになってしまったのに何故原発再稼働を急ぐのでしょうか。
関西電力などの話を聞くたびにこの被災地の人たちの気持ちとあまりにも遠くにいる人達なのだという思いがこみ上げてきます。

自分が被害をこうむらなければ本当の被災者の気持など所詮理解はできないのでしょうか。

この地震の周期からすると東京オリンピック前後が一番危ない気がしています。
次は東京湾、東南海などになるのでしょうか?

私にはこの時の心構えはまだできていません。


近況 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/01/17 20:48
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