新宮大神(銚子市野尻)

 昨日まで紹介した小野神社のある小南(東庄町)から国道356号線(利根水郷ライン)に出ようと県道74号線を成田線の「下総豊里」駅の方に向かった。
するとこの駅の手前で成田線に平行に走る国道356号線の旧道に出たので、そのまま旧道を走行した。
やはり昔の道を走ると何か大きな屋敷があったり、大きな古木が茂っていたりする。
昔の道なので少しくねくね曲がりくねってはいたが、次の「椎柴」駅の先で国道と一緒になる。
この合流する少し手前に大きな鳥居があった。

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「新宮大神」と書かれている。
神社は旧道と国道側の間に鎮座しており、両方の道路側に鳥居がそれぞれある。
上の写真は国道側の鳥居である。

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旧道側の鳥居。
奥に拝殿、手前が本殿で、神社の向きは国道側(北側)を向いている。
北向の神社だが、その理由はこの神社の祭神が武甕槌命で、鹿島神宮の方に向けて建てられたものだという。


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こちらが本殿だが、少し前までは茅葺屋根だったという。今は銅版葺きに替えられた。

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きれいな彫刻だが、これは藁葺屋根の時から変わっていないようだ。

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永禄年間の1560年代に中島城の城主海上八郎左ヱ門常衛が鹿島神宮へ日参していたが、風雨が激しいときなどそれがかなわず、下総国海上郡野尻村下宿に分霊勧請したのが始まりだという。
海上氏といえば、この先の松岸駅近くに海上八幡宮がある。

ここから鹿島神宮へはこの辺りからも舟で渡っていたのだろうか。
香取神宮の方が近いが鹿島神宮に日参していたというのは本当だろうか?
少し興味が湧く。

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境内には石造宝篋印塔が1つ置かれていた。
上の説明板によれば五輪塔と書かれている物のようだ。
永禄14年の建造と書かれているが、永禄は13年(1570年)までしかない。

永禄14年は元亀2年になるが、この元亀という元号は足利義昭が将軍に就任し、将軍権限の復活につながるとして織田信長が大反対したので、あまり当時は不吉との認識も広まっていたようで使われないのかもしれない。



(ブログ記事:1995日目)

銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/01/26 21:53
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