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新宮大神の近くに子安堂があった

 昨日紹介した銚子の手前の「かもめ大橋(有料)」近くの旧道と新道の間に挟まれた「新宮大神」は、鹿島神社と同じ性格を持った神社だった。
新宮というのは鹿島神宮に対して意識的につけたようだが、大神というのはこの辺りの神社はほとんどすべてといくらいに大神と名前がついている。

境内には少し小山のように土が盛られた場所があり、「宝篋印塔」が上に立っているが、その下の土の中には経文を埋めてあるという記録が書かれているとあるが、一般にはこのようなところは経塚と呼ばれている。
鎌倉時代に末法思想が世の中にひろまり、その暗黒の世界が終わってまた復活した時に大切な経文を土に埋めた場所といわれています。

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この新宮大神の旧道の反対側に「子安堂」という案内看板が置かれていた。

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細い民家の間を通り抜ける道を少し進む。
上の写真は子安堂の方から振り返ったところ。奥に見えるのは新宮大神です。

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奥の空地にお堂が一つ。これが子安堂のようだ。
子安講は何時ごろこのような民間で支持された物か?
各地に念仏講や二十三夜、十九夜講などがある。

石岡に近いかすみがうら市にもこの子安講の中心だった「子安神社」「胎安神社」があり興味を引く。

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この手前は宝篋印塔ではなく五輪塔か?

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下総板碑のような石碑が置かれているが、一つには「子安堂」と彫られている。その右側は読むことができない。

子安堂はやはり寺院の中に置かれている場合が多いように思います。
きっとこの辺りにも寺院があったのではないかと想像します。
しかし書かれた物は見つかりませんでした。

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(ブログ開始から1996日目)

銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/01/27 20:40
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