夜越川(よろこしがわ)
行方市麻生から潮来市に入って国道51号線をくぐると牛堀の街に入ります。
この旧道沿いを潮来の街の方にすこし進んだところに「夜越川」という少し名前の気になる川が流れています。
よくここを通るのですが、この川に白鳥がいつもいるので気になり、先日車を近くに停めて川沿いを歩いてみました。


白鳥はいつも2羽。同じハクチョウでしょうか。
霞ケ浦やその周辺には渡りでなく棲みついた白鳥もいるようですので、この白鳥が冬場だけなのかどうかはわかりません。

牛堀の街の通りに架かる橋(新東栄橋)にはこのように「夜越川 YOROKOSHIGAWA」と掲げられています。
名前が気になり調べて見ると、
この上流側の「香澄の里」公園に近いところにあった「永山城」(大掾流の行方一族の小高幹平の子知幹が築城し、永山氏を名乗った)が、同族の島崎氏がこの川を夜に渡って攻めてきて滅ぼされたことからこの名前がついたという説明がされている。
しかし、この説明はどうもしっくりしない。
「夜越」を「よろこし」と読むことからもすっきりしない。

新東栄橋。 小舟が置かれている。

穏やかでのんびりした風情だ。

白鳥も鴨たちもみな仲良しのようで、人に驚いたりおびえたりする風もない。

なかなかのどかだね。

さて、この夜越川(よろこしがわ)をアイヌ語(縄文語)などであったらどういう意味になるのだろう。
調べると、岩手県盛岡市に近いところに「ヨロベツ沢」という名前があった。
この「ベツ」というのは北海道などの地名で「川」の意味のところが多いので川の意味とすると、「ヨロ」というのは「獲物のいる所の」というような意味もあるそうです。
では現在のこの川というと釣り場としても名がしれているようです。
バスやタナゴ、鯉などだそうです。
昔の人がこの川を獲物のいる川としてあがめていたとすればヨロというのはそんな意味もあるかもしれません。
まったく別な見方をすれば、霞ケ浦の水運が発達していた時に、帆を張った舟の風待ち港であった牛堀と潮来の間を人々が行き来していて、夜にこの川を渡ったのでついた名前かもしれません。
いずれにしても川の名前は時代や川の流域によって呼び方も変わっている場合が多いので何が正しいかはよく分かりません。
ただ色々考えを巡らせて想像するのも楽しいです。舟の出るのが朝早かったり、夕方遅かったり・・・・
今ではこの「風待ち」を想像するのもかなり厳しいですね。
小林一茶が潮来から銚子に行くために舟に乗ったのは「卯上刻」ですから朝の5時台です。旧暦の5月ですから朝5時台も明るかったでしょうが・・・・・・。
この旧道沿いを潮来の街の方にすこし進んだところに「夜越川」という少し名前の気になる川が流れています。
よくここを通るのですが、この川に白鳥がいつもいるので気になり、先日車を近くに停めて川沿いを歩いてみました。


白鳥はいつも2羽。同じハクチョウでしょうか。
霞ケ浦やその周辺には渡りでなく棲みついた白鳥もいるようですので、この白鳥が冬場だけなのかどうかはわかりません。

牛堀の街の通りに架かる橋(新東栄橋)にはこのように「夜越川 YOROKOSHIGAWA」と掲げられています。
名前が気になり調べて見ると、
この上流側の「香澄の里」公園に近いところにあった「永山城」(大掾流の行方一族の小高幹平の子知幹が築城し、永山氏を名乗った)が、同族の島崎氏がこの川を夜に渡って攻めてきて滅ぼされたことからこの名前がついたという説明がされている。
しかし、この説明はどうもしっくりしない。
「夜越」を「よろこし」と読むことからもすっきりしない。

新東栄橋。 小舟が置かれている。

穏やかでのんびりした風情だ。

白鳥も鴨たちもみな仲良しのようで、人に驚いたりおびえたりする風もない。

なかなかのどかだね。

さて、この夜越川(よろこしがわ)をアイヌ語(縄文語)などであったらどういう意味になるのだろう。
調べると、岩手県盛岡市に近いところに「ヨロベツ沢」という名前があった。
この「ベツ」というのは北海道などの地名で「川」の意味のところが多いので川の意味とすると、「ヨロ」というのは「獲物のいる所の」というような意味もあるそうです。
では現在のこの川というと釣り場としても名がしれているようです。
バスやタナゴ、鯉などだそうです。
昔の人がこの川を獲物のいる川としてあがめていたとすればヨロというのはそんな意味もあるかもしれません。
まったく別な見方をすれば、霞ケ浦の水運が発達していた時に、帆を張った舟の風待ち港であった牛堀と潮来の間を人々が行き来していて、夜にこの川を渡ったのでついた名前かもしれません。
いずれにしても川の名前は時代や川の流域によって呼び方も変わっている場合が多いので何が正しいかはよく分かりません。
ただ色々考えを巡らせて想像するのも楽しいです。舟の出るのが朝早かったり、夕方遅かったり・・・・
今ではこの「風待ち」を想像するのもかなり厳しいですね。
小林一茶が潮来から銚子に行くために舟に乗ったのは「卯上刻」ですから朝の5時台です。旧暦の5月ですから朝5時台も明るかったでしょうが・・・・・・。
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