じゃかもこじゃん考(2)-土浦鷲神社(2)
今日は立春。
朝は寒かったが昼間はポカポカ陽気。
これから三寒四温で段々あたたかくなってくるでしょう。

野原ではオオイヌノフグリも咲きだしました。

黄色い花も・・・(名前はわからない)
今日は昨日の続き「じゃかもこじゃん考」の2回目です。

ここで毎年旧暦の1月15日に行なわれていた「じゃかもこじゃん」で売られていた味噌おでんです。
(味噌は別に分けて添付されています)

こちらはその包装紙。
「このおでんをご家族みんなで食べると一家招福 無病息災 とくに交通安全 流行性感冒に負けない 丈夫なからだになり 受験合格 就職万歳 夫婦和合とむかしからゆわれている」
と書かれています。
神社の由来については
「鷲の宮は平安時代に祀られたもので、室町時代東崎町の開発百姓が出島の田村から分家してこの地に移ったとき、田村鷲の宮を分請してきたといわれ、土浦市の中心になっている」
と書かれています。
田村は現在は土浦市田村で旧出島村(現かすみがうら市)に近い場所です。
そこに鷲神社があります。遺跡などが発掘され、かなり古くから人が住んでいたようです。
一方土浦市は現在市街地となっている場所の多くが、昔は湿地帯だったりして、比較的新しくその中でもこの東崎町はかなり古く(室町時代に)開発されたと思われます。
このじゃかもこじゃんという祭りが何時から始まったのかよくわかりません。
しかし田村の鷲神社ではこのような祭りはやっていません。
私が考えるのは
「おでん」=「田楽豆腐」=「田楽舞」=「じゃかもこじゃん」
であるという流れです。田楽舞、申楽(さるがく)などは平安時代に始まっています。
もともと「おでん」という名前の発祥はこの串に刺して焼いた豆腐の姿が「田楽舞」(五穀豊穣を祈願しの神楽)の竹馬に乗って踊る姿に似ていることからついたとされています。
石岡のじゃかもこじゃんは代々神楽ですから、おでんも「神楽」ということで、両者に共通点があります。
この先はまた後日に続きを書きたいと思います。
明日は銚子に出かけますので夜遅くなり、続きは書けないかもしれません。
朝は寒かったが昼間はポカポカ陽気。
これから三寒四温で段々あたたかくなってくるでしょう。

野原ではオオイヌノフグリも咲きだしました。

黄色い花も・・・(名前はわからない)
今日は昨日の続き「じゃかもこじゃん考」の2回目です。

ここで毎年旧暦の1月15日に行なわれていた「じゃかもこじゃん」で売られていた味噌おでんです。
(味噌は別に分けて添付されています)

こちらはその包装紙。
「このおでんをご家族みんなで食べると一家招福 無病息災 とくに交通安全 流行性感冒に負けない 丈夫なからだになり 受験合格 就職万歳 夫婦和合とむかしからゆわれている」
と書かれています。
神社の由来については
「鷲の宮は平安時代に祀られたもので、室町時代東崎町の開発百姓が出島の田村から分家してこの地に移ったとき、田村鷲の宮を分請してきたといわれ、土浦市の中心になっている」
と書かれています。
田村は現在は土浦市田村で旧出島村(現かすみがうら市)に近い場所です。
そこに鷲神社があります。遺跡などが発掘され、かなり古くから人が住んでいたようです。
一方土浦市は現在市街地となっている場所の多くが、昔は湿地帯だったりして、比較的新しくその中でもこの東崎町はかなり古く(室町時代に)開発されたと思われます。
このじゃかもこじゃんという祭りが何時から始まったのかよくわかりません。
しかし田村の鷲神社ではこのような祭りはやっていません。
私が考えるのは
「おでん」=「田楽豆腐」=「田楽舞」=「じゃかもこじゃん」
であるという流れです。田楽舞、申楽(さるがく)などは平安時代に始まっています。
もともと「おでん」という名前の発祥はこの串に刺して焼いた豆腐の姿が「田楽舞」(五穀豊穣を祈願しの神楽)の竹馬に乗って踊る姿に似ていることからついたとされています。
石岡のじゃかもこじゃんは代々神楽ですから、おでんも「神楽」ということで、両者に共通点があります。
この先はまた後日に続きを書きたいと思います。
明日は銚子に出かけますので夜遅くなり、続きは書けないかもしれません。
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