三之分目熊野神社(旧豊浦神社)

 三之分目(さんおわけめ)の大塚山古墳を後にして、国道356号線(利根水郷ライン)と平行に内陸側を走る旧道を銚子方面に向かいました。
やはり旧道の道は曲りくねったりもしていますが、何処か懐かしい気がします。
家並みも古いし、そこの木々も大きくなり覆い茂っています。

そんな中に小見川北小学校の手前に一つの神社がありました。
旧道側からの入口がなく、国道356へ出てみるとそこに入口がありました。

P2050040s.jpg

鳥居の脇に「熊野神社」という説明板が立てられていました。

P2050042s.jpg

説明を少し紐解いてみましょう。

創建:延宝元年(1673年)2月18日・・・江戸時代初期
祭神: 伊邪那岐命(イザナギ)、伊耶那美命(イザナミ)、須佐之男命(スサノオ)・・・日本神話に登場する主の神
例祭:3月18日(昔は創建とされる旧暦2月18日)、祭礼:3月第3日曜日、臨時祭礼(5月の田植え後):渋落とし祇園

由緒:当神社は往古、熊野三社大権現と称する。明治年間に至り、熊野神社と改称す。大正六年に本殿・拝殿を改築すると同時に、豊浦神社と改める。後に水神社を合祀し、熊野神社として登記され現在に至る。
昭和四十三年に拝殿の屋根を銅板葺神明造りに葺替えし、参道の大鳥居は、昭和五十一年コンクリート造りに改築す。
御神輿は、明治初年の作と推定され、昭和五十一年に改修す。

何かよくわからない神社だ。
まず、熊野神社が何故このような低地に置かれたのか?

イザナギ、イザナミの夫婦の神にその子のスサノオの三神を祀っている。

P2050041s.jpg

正面の建物が神社の拝殿。

P2050043s.jpg

拝殿の下半分は朱色で、この種の神社としては少し変わっている。
扁額は熊野神社ではなく「豊浦神社」と書かれている。

豊浦と言うのはどうもこの辺りの地名にあるようだ(JA豊浦などの名前がある)が、豊浦と言うと「金色姫伝説」を思い出す。
蚕が伝わった(絹の製法)と言われる場所には「豊浦」と言う地名が残されている。
ということはこの辺りにも何か残されているのか??

探したがわからなかった。

でもこの朱色の拝殿などを見ていると「元息栖」と言われる現在の息栖神社が元あったと言われる「蚕霊神社」を思い出す。
(記事は→こちら

P2050045s.jpg

こちらが本殿。

P2050044s.jpg

境内社

三之分目2

さて少しわからなくなったので、FloodMapsという地図ソフトを使って海水面を5m程上昇させて昔の地形を想像した。

鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の東国三社が直角関係をなすが、この熊野神社(豊浦神社)は息栖神社と香取神宮のちょうど中間に位置している。

前に紹介したこの辺りでは最大の大塚山古墳がすぐ近くにあり、この神社は恐らくこの古墳の前円部辺りに祀られたのかもしれない。

恐らく昔は豊浦にできた蚕関係の神社が先にあり、そこに熊野三山信仰が熱心に行なわれるようになって、熊野権現から勧請(かんじょう)して神様を移してきたのだろう。

まあ推論にすぎないが、そんな思い伝わってくる。


香取地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/02/13 19:04
コメント

管理者のみに表示