竹原神社(小美玉市)

 石岡から6号国道を北上し、園部川を渡ると旧美野里町(現小美玉市)に入ります。
その入口が竹原になります。

昔の水戸街道は石岡の一里塚から杉並(昔杉並木があった)から行里川(なめりがわ)を経由してからしばらくして旧道を通りながら東に向かいこの竹原で6号国道と交わりますが、旧街道は今度は国道の東側を通ります。

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この竹原の交差点手前の少し高くなった台地の上に竹原神社があります。

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この神社には「アワアワ祇園」という祭りが継承されています。

説明では:
正保二年(1645)に園部川上流の旧大谷村を中心に伝染病が流行し、その原因が「大谷村の牛頭天王が人を食うからだ」、との噂が広まった為、大谷村の人々は怒って牛頭天王の御神体である金幣を園部川に流してしまいました。そのご神体が流れ着いた竹原村では、神の怒りを恐れ、水中から金幣を引き上げた後に、洗い清め、焚火で温めて、乾かしてから祠を建ててお祀りしました。
そのご神体が「アワアワ」と寒さでふるえていたとの言い伝えから「アワアワ祇園」と名づけられました。

と書かれています。
でも私はこのような名前の謂れはあまり信用しません。
きっと別な意味があるような気がします。

説明にあるように「牛頭天王」を祀っているので八幡神社などと同じで祇園祭が行なわれているのでしょう。

石岡のお祭りも基本的には祇園祭だと思います。
元は中町にあった天王社(今は総社宮に合祀)が行なっていた祇園祭を明治に変形させて造り出したものでしょう。

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狛犬

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拝殿

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本殿

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本殿の彫刻

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神社横から裏側の山は紫陽花の木が植えられています。
この神社のアジサイもきれいだと言います。今度は梅雨時に来て見ましょう。

アワアワ祇園祭は7月の第3土・日に行われています。

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祇園祭に使われる神輿は石岡の総社宮の神輿とほぼ同じような形だそうですが、これは石岡とこの竹原が文化的にはつながっているようです。

石岡のおまつりも富田町のささら(棒ささら)がでてきますが、これと同じような原型がここにもあります。
また木之地町のみろく人形も今では残っているものが少なく、ここ竹原に残されていたみろく人形をもとに復元されたりしています。
(木之地のみろくについては前に書いた記事を参照ください:こちら

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神社の入り口横にある「大乗妙典塔」
(大乗妙典についてはこちらの記事を参照: こちら

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「金剛般若経壱千部塔」です。

戦国時代に石岡(府中)は平氏の大掾氏(だいじょうし)が治めていました。
そして園部川の北のこの竹原には竹原義国(大掾貞国の弟)が治めていました。
北の江戸氏や佐竹氏に対抗するために城が築かれました。

しかし、大掾貞国が戦死するとまだ5歳だった清幹(きよもと)が家督を継ぎ、その補佐をしたのがこの竹原義国です。

府中は北はこの竹原、東は園部氏(小川)に対抗するために田木谷に砦を築いて敵地対抗していました。
義国もこの田木谷が危うくなると応援に行っていたようです。

それも両方が破られ不滅とも言われた府中城は消滅しました。

そういう意味でも石岡の文化圏は竹原や玉里などは同じ様なつながりを感じます。

歴史を見て行くとこの小美玉市との境は本当は線などは無いのかもしれません。
行政はそれとは関係なく、区分けされてしまいました。
そのため、色々知らせるべき事柄もお互いに忘れて行くようで淋しい気がします。


この竹原神社や耳守神社などは是非石岡の教育委員会などでも調査し記録を残していってほしいものです。



小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/07 21:45
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