二つの阿弥神社(阿見町)(1)
まだ3月になったばかりだというのにもう夏になりそうな陽気。
明日は逆に朝からほとんど気温も上がらず昼間は今日より10度くらい下がるという。
自然界の植物も動物も皆戸惑っているに違いない。
こんな変化が激しいと今年の夏場はどうなるのか心配になる。
暑い夏も困るが、自然災害もまた起こるに違いない。
さて、今日は先日阿見町にある大きな病院に行く用事があり、ついでに近くにある前から気になっていた神社に立ち寄った。
写真も多くなってしまったので数回に分けて紹介したいと思う。
気になる神社というのは、この阿見町の名前の謂れともなっている「阿彌神社」が二つあり、それぞれこの「元となっている」かで論争があるらしいということである。
どちらもかなり古くからある神社のようである。
まずは病院にも近い阿見町中郷にある阿彌神社から紹介します。
もう一つはもう少し東の竹来にある阿彌神社である。

中郷の阿彌神社は国道125号線のバイパスと県道203号線とに挟まれた場所で、国道側の西郷信号近くに鳥居がありそこから長い参道が続いている。


この神社は現地看板およびWikipediaの由緒では
「崇神天皇18年(紀元前80年)、豊城入彦命が崇神天皇の勅命による東国平定で当地に訪れた際、「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都、実に能く天業を補弼せり、其神功成るに及びて天に還りしと、蓋し是地に於てするや」と常陸国風土記に記された普都大神の事蹟を偲ばれた。この御言葉が信太郡阿彌郷、ひいては阿見町の由来になったという。この伝承を縁故として、和銅元年(708年)に祠を建てて皇子を祀り、阿彌神社と称した。豊城入彦命の後裔一族に大網公があり、その氏神かという推測がある。」とある。
この内容はもう一つの竹来の神社と比較して読み解かなければわからない。
後から考えることにしよう。

この鳥居から真っ直ぐに長い参道が続く。



やっと正面に神社の拝殿が見えてきました。
手前には狛犬が2対。

この拝殿に向かって左側(西側)に一つの社が置かれている。
境内社と思われるが説明はない。

調べてみるとどうやらこれは旧霞ヶ浦海軍航空隊の敷地内にあった旧霞ヶ浦神社だという。
海軍航空隊の殉職者の英霊をまつっていたが戦後BHQにより強制的に廃絶となり、社だけをこの神社に移して保存していたが、現在は境内社とはなっておらず、自衛隊の敷地内の土浦航空隊神社にて祀られるとともに、英霊は東京神宮にある東郷神社境内の社に移されたそうだ。(Wikipediaより)





拝殿から参道を振り返る。

境内社(稲荷社?)



本殿
写真ばかりになってしまいました。
こちらの神社の特徴は「第10代崇神天皇皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られていることだと思う。
次回は竹来の神社を紹介します。
明日は逆に朝からほとんど気温も上がらず昼間は今日より10度くらい下がるという。
自然界の植物も動物も皆戸惑っているに違いない。
こんな変化が激しいと今年の夏場はどうなるのか心配になる。
暑い夏も困るが、自然災害もまた起こるに違いない。
さて、今日は先日阿見町にある大きな病院に行く用事があり、ついでに近くにある前から気になっていた神社に立ち寄った。
写真も多くなってしまったので数回に分けて紹介したいと思う。
気になる神社というのは、この阿見町の名前の謂れともなっている「阿彌神社」が二つあり、それぞれこの「元となっている」かで論争があるらしいということである。
どちらもかなり古くからある神社のようである。
まずは病院にも近い阿見町中郷にある阿彌神社から紹介します。
もう一つはもう少し東の竹来にある阿彌神社である。

中郷の阿彌神社は国道125号線のバイパスと県道203号線とに挟まれた場所で、国道側の西郷信号近くに鳥居がありそこから長い参道が続いている。


この神社は現地看板およびWikipediaの由緒では
「崇神天皇18年(紀元前80年)、豊城入彦命が崇神天皇の勅命による東国平定で当地に訪れた際、「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都、実に能く天業を補弼せり、其神功成るに及びて天に還りしと、蓋し是地に於てするや」と常陸国風土記に記された普都大神の事蹟を偲ばれた。この御言葉が信太郡阿彌郷、ひいては阿見町の由来になったという。この伝承を縁故として、和銅元年(708年)に祠を建てて皇子を祀り、阿彌神社と称した。豊城入彦命の後裔一族に大網公があり、その氏神かという推測がある。」とある。
この内容はもう一つの竹来の神社と比較して読み解かなければわからない。
後から考えることにしよう。

この鳥居から真っ直ぐに長い参道が続く。



やっと正面に神社の拝殿が見えてきました。
手前には狛犬が2対。

この拝殿に向かって左側(西側)に一つの社が置かれている。
境内社と思われるが説明はない。

調べてみるとどうやらこれは旧霞ヶ浦海軍航空隊の敷地内にあった旧霞ヶ浦神社だという。
海軍航空隊の殉職者の英霊をまつっていたが戦後BHQにより強制的に廃絶となり、社だけをこの神社に移して保存していたが、現在は境内社とはなっておらず、自衛隊の敷地内の土浦航空隊神社にて祀られるとともに、英霊は東京神宮にある東郷神社境内の社に移されたそうだ。(Wikipediaより)





拝殿から参道を振り返る。

境内社(稲荷社?)



本殿
写真ばかりになってしまいました。
こちらの神社の特徴は「第10代崇神天皇皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られていることだと思う。
次回は竹来の神社を紹介します。
昨日、何気なく女化神社を検索したらこちらのブログにはまりました。
記事の量が膨大で一通り読み終えるのはだいぶ先になりそうですが、興味津々の事柄が多くてうれしい悲鳴です。
まずはご挨拶まで
うれいコメントありがとうございます。
> 休日は稲敷台で平日の夜は時々銀座をぶらついてます。
夜の銀座をぶらつくとはうらやましい限りです・・・・
私はこんな地域に眠っている話や歴史を拾ったり、掘ったりして歩きまわっています。
> 昨日、何気なく女化神社を検索したらこちらのブログにはまりました。
そうですか。ブログもたくさんの方がおられる中から拾い出して下さり感謝です。
おおいにはまって叱咤激励していただけると嬉しいですね。
> 記事の量が膨大で一通り読み終えるのはだいぶ先になりそうですが、興味津々の事柄が多くてうれしい悲鳴です。
5年間毎日何か記事を書き続けていますので2000件以上になってしまいました。
普段はまだやることもあるし、記事を書く時間もネタも無くなりそうで何時とん挫するか・・・・。
興味を持っていただいたというのでこちらもまた嬉しい悲鳴をあげてしまいました。
これからも宜しくお願いいたします。