権現山古墳(玉里)

 滝平二郎さんの切り絵が新しい石岡駅に飾られたが、この滝平さんの生まれ故郷は石岡の隣り町の旧玉里村だ。

今では小美玉市となり石岡とは別れ分かれではあるが、石岡の高浜からは霞ケ浦沿いにつながっている。
この玉里村は昔は「田余」と書かれていた時代もあり、常陸風土記の記述でも石岡とはつながっている(同じ茨城郡)。

風土記の記述には
「郡より東十里のところに、桑原の岡がある。昔、倭武の天皇(ヤマトタケル)が、この岡の上に留まられたとき、神に御食を供へるとともに水部(もひとりべ)に新しい井戸を掘らしめた。この清く香ぐはしい泉の水をおいしさうに飲み干され、「よくたまれる水かな」とおっしゃったので、この里の名を、田餘(たまり)といふやうになった。」
と書かれている。

今まであまり気にしてこなかったのだが、この玉里地区は大きな古墳がゴロゴロしているのだ。

石岡から見れば東日本第二の舟塚山古墳があり、そのすぐ近くに愛宕山古墳がある。
そこを延長したところに玉里があるので、古墳はたくさんつながっているくらい存在するようだ。

その中でも大きな二つの古墳を見てきたので紹介します。

最初は「権現山古墳」。
全長が89.5mの前方後円墳で霞ケ浦に面した少し高台の山の上にあった。

湖に沿った道から古墳に上がる道が整備されていたが、どうもこれが通行止めで登れない。

旧玉里総合文化センター(生涯学習センター)コスモス下の古民家園に隣接した駐車場に車を停めて、歩いてすぐ行くことができた。

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なかなか大きくて全景を写真におさめる事ができない。

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前にも古民家園を訪れたことはあったが、ここにこんな大きな古墳があることを知らなかった。
桜の木も植えられこれからここも知られるようになるのかもしれない。

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5世紀末から6世紀始めの築造だそうだ。
舟塚山古墳が5世紀半ばから末頃といわれているのでこちらの方が少し新しいようだ。

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古墳の上には小さな祠が置かれているが上に登る道などは整備されていない。

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上にはたくさんのドングリの実がびっしりと敷き詰められていて、この斜面を何処でも適当に登ることができる。

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舟塚山古墳よりももっと湖に近い。
どんな豪族がここにいたのだろうか?

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この下の湖に沿った道も何度も車で通っていたが、ここにこんな大きな古墳が眠っていることに気がつかなかった。

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古墳のすぐ下に広い駐車場などを一時整備しようとしたようだ。
ここには「危険」の張り紙がしてあったので、崩れる危険があるのかもしれない。

滝平二郎さんの生家といわれる場所はここからあまり遠くない場所だったと思う。


玉里地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/03/16 20:22
コメント
No title
こんばんわ。霞ヶ浦の周りには随分と古墳があるものですね。こんなに沢山の古墳があるなんてこのブログを見るまで知りませんでした。
先日から手始めに稲敷台の阿見周辺の鎌倉道を調べているのですが鎌倉道に沿って鹿島神社が配置されているようで、神社を設置した目的もいろいろありそうです。
また、国土地理院の地図に載ってない神社がYAHOOの地図で見ると神社があったりして混乱してます。
ではまた
うさぎ小屋さま
> 霞ヶ浦の周りには随分と古墳があるものですね。こんなに沢山の古墳があるなんてこのブログを見るまで知りませんでした。

私はあまり古墳を調べてはいないのですが、驚くほどありますね。
4世紀後半から6世紀にかけてどんな文化がこの霞ケ浦周辺にあったのか興味があります。
奈良と同じような前方後円墳などはどのようにつながっているのでしょうね。

> 先日から手始めに稲敷台の阿見周辺の鎌倉道を調べているのですが鎌倉道に沿って鹿島神社が配置されているようで、神社を設置した目的もいろいろありそうです。

そうですか。調べられたものはブログなどに報告されるのですか?
また面白い事でも見つかったらお教えください。
鹿島神社と香取神社の分布を調べたことがありますが、利根川流域は香取神社が主流でした。

鎌倉道という名前は「いざ鎌倉」という時代に幾つもの道がそう呼ばれるようになったようでもっと古い時代の道もきっとありそうに思います。

神社も後から移されたりもしているので鎌倉道との関係はわからないですが面白そうですね。
布佐からこちらがわに渡ってきたのがその先どうして榎浦の津の方につながるのでしょうか。
興味深いですね。ではまた。

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