舘山(稲荷)神社

 昨夜、日が沈んだ頃に東の空の上にきれいな満月が輝いていました。

そして、そのすぐ上の方にキラキラ輝く星が光っていました。

かなり明るかったのですがカメラを構えてもうまく撮れません。

調べたら木星だったそうです。
今日(満月)も見られるということでしたが曇っていて見えません。

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 旧玉里村の生涯学習センター(玉里資料館)コスモスは高崎地区の裏山の高台にありますが、地図で見ていたらこの建物の裏に神社がある事がわかりました。

地図には舘山神社となっています。

入口は高崎地区の内陸側にあるようですがはっきりした道がわからないのでこのコスモスの駐車場に車を置いて回って見ました。

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学習センター建屋の裏手に回るとすぐに神社は見つかりました。
赤い屋根が印象的です。

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拝殿手前にかわいい狛犬が置かれているのですが、どういう訳か左右対のはずが右側のみしかありません。
地震か何かで倒れてしまったのかもしれません。

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拝殿の後ろには立派な本殿があります。

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神社の入口は学習センターとは反対側で西側から登ってくるようです。
上と下に2つの鳥居があり、急な階段があります。

稲荷神社とはなっていますが、赤い鳥居がたくさんあるわけでもなくまたキツネさんも置かれていません。
館山神社という名前で思い出すのは日立市北部の旧十王町との境に鎮座する蚕養神社と対になった舘山神社です。
(記事はこちら

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この辺りも昔は多くの人々がお参りに来たのかもしれません。
霞ケ浦が展望できるように山をまくような道が昔はあって、途中に展望台のような跡もありますが、今は藪が生い茂っていて全く整備はされなくなってしまったようです。

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神社の下側の鳥居位置から高崎の部落を見下ろしたところです。

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この神社の立て看板に書かれている応安元年(1368年)というと南北朝時代になります。
府中(石岡)では大掾詮国が今の石岡小学校の昔常陸国国衙があった場所に府中城を築いた20年後くらいになります。

今の学習センターコスモスのある高台の地域一帯には「高崎館」があったようで、神社を最初に祀ったという「鶴町三河守照光」が治めていたようだ。

鶴町三河守照光は常陸大掾13代高幹(詮国の父)の一族というから、詮国とは当時どのような関係があったのだろうか。
戦国末期にここも佐竹氏一派や小川の園部氏などにより攻め落とされたのだろう。

このほかに愛宕神社辺りにも館があったようで結構昔は交通の要となった場所らしい。
今では全く考えられないが、どんな道路や流通があったのだろうか。



小美玉・行方地区 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2016/03/23 20:43
コメント
No title
香取神宮から60°の線がどこまで続いているのか地図上に線を引いてみたところ、なんとこの神社を通過してます。
ここからさらに石岡駅の北にある東日電線の工場の東側の鷺宮神社、さらに北へ行くと真家の丘の上にある名称不明の神社に着きます。
とうとう方位線が石岡の町中にまで辿り着いたけど、方位線が見つかると寝る時間が遅くなって困ります。
うさぎ小屋様
お返事遅れてしまいました。

> 香取神宮から60°の線がどこまで続いているのか地図上に線を引いてみたところ、なんとこの神社を通過してます。

60°の方位線にどのような意味があるのかわかっていませんが・・・・
この稲荷神社はあまりお稲荷さんらしくなく狐像が置かれていませんでした。
あまり香取神宮などとの繋がりは感じることもありませんでしたが何かあるのでしょうか?

> ここからさらに石岡駅の北にある東日電線の工場の東側の鷺宮神社、さらに北へ行くと真家の丘の上にある名称不明の神社に着きます。

この真家は平安時代から続くとも言われる盆踊り(みたま踊り)が伝わっています。
山麓にあり神社はどんなものかは知りませんが裏山(鐘転山~難台山)辺りは昔、天狗が修業した場所とも言われています。

南北朝の戦もあったし、今は皇室への献上柿の産地でもあります。
No title
こんばんわ。方位線も少し飽きてきた。(本当)
八郷の柿畑の広さには圧倒されますね。あんなにたくさんの柿が栽培されてるところは筑波山麓以外にはあまりないのではないでしょうか。
さて、昨夜の続きですが、このお稲荷さんは古女子の60°の線上でもあります。
古女子の60°の線をさらに北に伸ばすと茨城町小堤の香取天満があり、この香取天満は鹿島神宮からの60°線上でもあります。
また古女子の60°線を南に伸ばすと、阿見町上吉原の交差点近くの神社(名称不明)を通過して我孫子市布佐の浅間神社に達します。
また、お稲荷さんからつながる真家の不明神社のほぼ真南に古女子が位置します。
こんなにあちこちに古女子から方位線があるということは古女子の位置は宗教的な意味合いより純粋に測量技術的な基点としての役割を持っているのではないでしょうか。
で、古女子からの線と鹿島神宮や香取神宮からの方位線の交点にあたる場所にとりあえず目印となる神社を設置した。神社の名前はとりあえず稲荷にしたと考えるとあちこちの交点に稲荷神社が見受けられるという説明になるかと思います。
うさぎ小屋様
> こんばんわ。方位線も少し飽きてきた。

かなり熱心に根を詰めておられるようですね。
私は同じようなブログを続けているのによく飽きずに続いたとも思うのですが、多少なり達成感があるのも事実。
勝手に「継続は力なり」と思いこんでもいるのですがこうしてコメントをいただいたりすることがなければ途中でSTOPしていたと思います。

> 八郷の柿畑の広さには圧倒されますね。あんなにたくさんの柿が栽培されてるところは筑波山麓以外にはあまりないのではないでしょうか。

柿もあまり北の寒い地方では育たないようですので温暖な土地なのだと思います。

方位線の御説明も確かに何かつながっているのかな、と思うのですが、稲荷も数が多くてどこにでもあるというたぐいなので線を引けばその上に幾つも神社が載ってくる。なんていうことも不思議ではない気もします。
さて、まだ方位線への興味に、はまっていないのかもしれませんが。

この中では布佐の浅間神社に少し興味があります。

No title
これまで調べた舘山稲荷と古女子神社の位置関係を書いておきます。
古女子神社の北、真家の馬滝の入り口に明圓寺があります。舘山稲荷から見ると古女子神社と明圓寺までの距離がちょうど等しく15.8km、方位角は+60°、-60°でちょうど二等辺三角形の頂点の位置に稲荷があります。
ここには神社がないけど、調べてみたら明圓寺は天明六年(1786)に山津波で流され、その後再建されたとのこと。山津波で流される前はなんらかの神社が併設されていたことも考えられます。
その他、次の神社と方位線が引けます
鉾田 塔ケ崎 大宮神社 東
鹿嶋 棚木  今宮神社 東南 30°
神栖 日川  稲荷神社 東南 45°
       香取神宮 東南 60°
45°の線は陰陽道の影響が考えられます。
うさぎ小屋様
> これまで調べた舘山稲荷と古女子神社の位置関係を書いておきます。

確かに面白そうです。こんな見方もあるということかもしれませんし、何かあるのかもとも思います。

> 古女子神社の北、真家の馬滝の入り口に明圓寺があります。舘山稲荷から見ると古女子神社と明圓寺までの距離がちょうど等しく15.8km、方位角は+60°、-60°でちょうど二等辺三角形の頂点の位置に稲荷があります。
> ここには神社がないけど、調べてみたら明圓寺は天明六年(1786)に山津波で流され、その後再建されたとのこと。山津波で流される前はなんらかの神社が併設されていたことも考えられます。

明円寺は弁円の建てた寺。山津波で流される前は多分馬滝付近にあったようにも思いますが、僅か上なのかもしれません。
山伏であったと言われる弁円ですから山のなかかもしれません。
今の寺は住職さんも時々ブログなども書いていますが、昔の事はあまり分からないかもしれません。
ここからはじまる真家のみたま踊りはとても興味を持っています。保存会があります。

もう少し東にある神社が気になりますね。今度行って見ましょうか。


> その他、次の神社と方位線が引けます
> 鉾田 塔ケ崎 大宮神社 東
> 鹿嶋 棚木  今宮神社 東南 30°
> 神栖 日川  稲荷神社 東南 45°
>        香取神宮 東南 60°
> 45°の線は陰陽道の影響が考えられます。

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