もう一つの阿弥神社(古女子神社)
茨城県阿見町には阿弥神社という神社が2か所あり、延喜式の式内社としてどちらがその起源かで色々な意見があるようだ。
この2か所(中郷、竹来)は紹介した。
前の記事:二つの阿弥神社(阿見町) その1、その二、その三
しかし、もう一つ気になる神社が存在する。
それが「鹿島古女子神社(かしまこなごじんじゃ)」という。

場所は国道125号線バイパスの「香澄の里工業団地」の信号から左の竹来の阿弥神社方面にすこし入ったあたりだ。
あまり車も通らない奥まった場所(掛馬543)にこの神社はあった。
まわりは神社入り口方面は畑が広がり、反対側は木々が生い茂っている。
なにか古墳らしきものも点在している。(後で調べたらやはり古墳のようです)
この神社の入口鳥居は街道側とは反対側であり、竹来の阿弥神社の方向を向いているように思う。

かなりの歴史を感じる。
祭神は「鹿島御子神」だそうだ。
伝承によればこの神は竹来の阿弥神社の子孫にあたるという。

その他に建御雷之男命・経津主命・天児屋根命・宇賀之魂命 ・水波能売命・大日霊命などを祀る。
創建は例によって大同年間(806-810)といわれる。

神社の本殿。
屋根が青いのはあまりない。
この古女子(こなご)というのも変わった名前で興味は湧く。
当然感じは当て字だろうから「こなご」とはどんな意味合いがあったのだろう。
小女子といえばちりめんじゃこやシラスなどの小魚だし・・・ キビナゴも小魚。

境内。 古そうな一帯。

境内社の祠。椿の花が印象的。

境内近くの森にはこのような古墳が何も書かれずに散在している。
古女子古墳群というようで、前方後円墳を含む4基が存在している(1基は消滅した?)という。

車の通れる通りは裏側になり、こんな感じだ。
まあもう少し調べると面白いのかもしれないが、まずはこんな神社もあるということで良しとしよう。
私は信太郡の郡衙は最初は竹来にあり、その後「信太」(美浦村)に移り、そして下君山(信太の郡寺(廃寺)があった?)に移ったと思っていたが、もしかしたら違うのか?
大昔は霞ケ浦を舟で渡り、しばらくしてから土浦の方に向かう道になったということからは、下君山から土浦方面に行く時にこのあたりを通ったのか?
榎の浦津がどこなのか?
益々わからなくなってきた。
明日はまた銚子です。ここのところ毎週出かけている。
やはり片道90~100kmは少し遠く感じてきたな。
この2か所(中郷、竹来)は紹介した。
前の記事:二つの阿弥神社(阿見町) その1、その二、その三
しかし、もう一つ気になる神社が存在する。
それが「鹿島古女子神社(かしまこなごじんじゃ)」という。

場所は国道125号線バイパスの「香澄の里工業団地」の信号から左の竹来の阿弥神社方面にすこし入ったあたりだ。
あまり車も通らない奥まった場所(掛馬543)にこの神社はあった。
まわりは神社入り口方面は畑が広がり、反対側は木々が生い茂っている。
なにか古墳らしきものも点在している。(後で調べたらやはり古墳のようです)
この神社の入口鳥居は街道側とは反対側であり、竹来の阿弥神社の方向を向いているように思う。

かなりの歴史を感じる。
祭神は「鹿島御子神」だそうだ。
伝承によればこの神は竹来の阿弥神社の子孫にあたるという。

その他に建御雷之男命・経津主命・天児屋根命・宇賀之魂命 ・水波能売命・大日霊命などを祀る。
創建は例によって大同年間(806-810)といわれる。

神社の本殿。
屋根が青いのはあまりない。
この古女子(こなご)というのも変わった名前で興味は湧く。
当然感じは当て字だろうから「こなご」とはどんな意味合いがあったのだろう。
小女子といえばちりめんじゃこやシラスなどの小魚だし・・・ キビナゴも小魚。

境内。 古そうな一帯。

境内社の祠。椿の花が印象的。

境内近くの森にはこのような古墳が何も書かれずに散在している。
古女子古墳群というようで、前方後円墳を含む4基が存在している(1基は消滅した?)という。

車の通れる通りは裏側になり、こんな感じだ。
まあもう少し調べると面白いのかもしれないが、まずはこんな神社もあるということで良しとしよう。
私は信太郡の郡衙は最初は竹来にあり、その後「信太」(美浦村)に移り、そして下君山(信太の郡寺(廃寺)があった?)に移ったと思っていたが、もしかしたら違うのか?
大昔は霞ケ浦を舟で渡り、しばらくしてから土浦の方に向かう道になったということからは、下君山から土浦方面に行く時にこのあたりを通ったのか?
榎の浦津がどこなのか?
益々わからなくなってきた。
明日はまた銚子です。ここのところ毎週出かけている。
やはり片道90~100kmは少し遠く感じてきたな。
古女子だから婆さんだろう!なんてこと言うと怒られそう。
楯縫神社のほうには書かなかってのですが、今日調べたところでは楯縫神社(志太)~古女子神社~室崎神社(竹来)も直線上に並んでこちらは東南東30°の冬至の日の出の方角を向いてます。
冬至の日の出の方角は、毎年冬至の日の出の位置を調べておけば特別な測量用具などなくても特定できるから比較的古い方位線だろうと考えています。
対して筑波山頂~神崎神社に至る直線は143°と、かなりマニアックな角度であり、なんらかの測地技術を必要とするのではないかと思います。
つまり、古女子神社は神崎神社より古くから存在するのではないか?という仮説を立てることができるのではないかと思う今日この頃です。
> 古女子だから婆さんだろう!なんてこと言うと怒られそう。
そうですね。婆さん?なんていう解釈もあるんですね。全く考えませんでしたよ。(笑)
> 楯縫神社のほうには書かなかってのですが、今日調べたところでは楯縫神社(志太)~古女子神社~室崎神社(竹来)も直線上に並んでこちらは東南東30°の冬至の日の出の方角を向いてます。
冬至の日の出方向ということは筑波山から見ても日の出の方向ラインなのでしょうか?
この線を延長すると江戸崎不動院、また千葉県匝瑳市の飯高寺壇林、そして反対側は日光でしょうか?
色々な時代が入り混じっていて、陰陽道も加わり方向は非常に大事な要素がありますね。
また色々お教えください。
室崎神社、十握神社、土浦市中村の鹿島神社なども廻ってみなければなりませんね。
> 冬至の日の出の方角は、毎年冬至の日の出の位置を調べておけば特別な測量用具などなくても特定できるから比較的古い方位線だろうと考えています。
これは確かにこれ以上南からは太陽は昇らないので昔からそこに住む人にもすぐ分ったでしょうね。
地球は丸いですが、写真をとるマニアには色々な日の出日の入の方角のソフトがあるようですね。
ほとんどがダイヤモンド富士とかダイヤモンド筑波などといって特別な思い入れがありますから。
またお教えください。
筑波山頂から見た冬至の日の出の方向は鹿島神社にあたります。古典的な方位角理論で考えると鹿島神社は古くからあると考えられます。
また、冬至の筑波山頂は寒いから麓の適当な場所で日の出の位置を確認したんじゃないかと思っていますが、今の所この線上にある有名な神社は見つけていません。
(或いは道祖神)となるのでしょうけど、そういう田の神、道祖神は鶴見にはないのです。残念です
確かに夏至の頃の日没方向が逆から見れば冬至の日の出方向なのでしょうかね。
石岡から見ると夏至の時は筑波山よりすこし加波山に寄ったところに日が沈みます。
やはり意味があるのでしょうね。
竹来三社などという言葉もあったようですね。
もっとも鹿島神宮の昔の摂社(沼尾神社、坂戸神社)がこちらと関係が深いというのも興味があります。
> 歴史がある場所の話は掘ればほるほどおもしろいです。神社のまわりに古墳まである、奈良ならわかりますが、横浜ではありません。
確かに掘れば掘るほど色々なものが出てきますね。
新興住宅で無く縄文時代から人が住んでいたところは尚更ですね。
> 春なので質問なのですが、石岡は山の神が下りてきて春になる田祭りはありますか? 国東だと山の神神社とか 海の神神社とかあって、季節で行き来しているというのがわかるのですが、地元鶴見には山の神の石碑があって、あと復活した田祭りがあったりするので、昔の農村のおもかげを感じます。但し、山ノ神は田の神
> (或いは道祖神)となるのでしょうけど、そういう田の神、道祖神は鶴見にはないのです。残念です
この田の神信仰は私も生まれ育ちであまり縁がなく、残っていても目に留まらなかったりしてあまり気がついていません。
またわかりましたら連絡します。
何を隠そう。私は高校卒業まで国東半島で暮らしていました。
それはさておき、
古女子神社と神崎神社の方位角を測ると、なんと135°でした。
135°は楯縫神社(木原)と大戸神社の角度と同じです。
神崎神社がなんとか沼のほうから流れてきたというのはこの古女子神社との関係にあるのかもしれませんね。
それはいいですね。
あの石の仁王像があちこちにって・・写真でしか見たことがないのが残念です。
> 古女子神社と神崎神社の方位角を測ると、なんと135°でした。
> 135°は楯縫神社(木原)と大戸神社の角度と同じです。
面白いですね。やはり何か意味があるのでしょうか。
偶然とばかりは言えないようですね。
> 神崎神社がなんとか沼のほうから流れてきたというのはこの古女子神社との関係にあるのかもしれませんね。
この沼は多分昔は中洲みたいなところにあったのでしょうかね。
総国から常陸国へわたり、常陸国の馬を盗んで戻ったなどということもありそうですので、なかなか奥深そうですね。
今日は土浦市大岩田にある鹿島神社に行きました。
ここは古女子神社と神崎神社を結ぶ45°線上の最北にあたるようです。
この鹿島神社より北へ45°線を延長しても稲敷台と筑波山塊の中間の沼沢地帯ばかりでめぼしい神社がないからここを北限と見切ることにしました。
この鹿島神社の参道は真東よりやや北(4°くらい)を示しているからあるいは対岸の沖宿町あたりの港を指示しているのかとも思ったがちょっと方角が違う。
また、この神社は丘の上に開けた平坦な広場で陸平貝塚より広くて見通しもよいので、あるいは鎌倉道の物資集積用の中継点などにも使われた時代があるのではないか、などと勝手な想像を巡らせています。
> ここは古女子神社と神崎神社を結ぶ45°線上の最北にあたるようです。
ここは行ったことがありませんが何か感じるものがありましたか?
> この鹿島神社より北へ45°線を延長しても稲敷台と筑波山塊の中間の沼沢地帯ばかりでめぼしい神社がないからここを北限と見切ることにしました。
私はあまり稲敷台という言葉もわかりませんが、稲敷郡の郡衙が下君山にあったとして、筑波郡衙である平沢官衙とを結ぶ線に近いところに古代の道があったのではないかなどと想像したりします。
延喜式に書かれている古代の駅家「曽根」が土浦市下高津あたりだとするとやはりこの辺りを通るのでしょうか。
3日続いたら次の3日はお休みになりそう。
ところで
>ここは行ったことがありませんが何か感じるものがありましたか?
大岩田の鹿島神社の周囲は一面の畑で今はネギが良く育ってました。とても心霊スポットには向かない場所ですが、兵站・輜重の中継点とか霞ヶ浦の水運を見張るような軍事的に重要なスポットと見受けました。陸平貝塚近くの馬掛不動堂も海運の見張りとして重要な場所だと感じました。水際の高地はどうしても監視所にならざるを得ないのでしょう。
>延喜式に書かれている古代の駅家「曽根」が土浦市下高津あたりだとするとやはりこの辺りを通るのでしょうか。
高津を通るルートは陸路で土浦~石岡へ抜けると思いますが、この大岩田を通るルートは海路で対岸の沖宿町へ上陸し神立駅の辺りを通って石岡へ向かうルートのような気がします。
当初は楯縫神社を経由した水運も利用するルートが阿見町を経由する陸上ルートに変わったのではないでしょうか?
連続して書かないでいると落ち着かないという貧乏性で何とか続いているようなものです。
でもやはりしっかり調べたりしたいのですがその根性も無いので段々記事が散漫になります。
私の場合は、まあ休むと永遠に休んでしまいそうです。
特にここはそちらからの流れは感じませんでしたが、やはり違った流れもありそうです。
神社に行った感想から言うと、前にいったかすみがうら市(出島)安食にある大宮神社を思い浮かべました。
やはり時代は900年頃の時代なのかもしれませんね。
その頃にはこの辺りを舟で渡ったのでしょうか。
> 高津を通るルートは陸路で土浦~石岡へ抜けると思いますが、この大岩田を通るルートは海路で対岸の沖宿町へ上陸し神立駅の辺りを通って石岡へ向かうルートのような気がします。
やはり時代は900年頃の時代なのかもしれませんね。
その頃にはこの辺りを舟で渡ったのでしょうか。
> 当初は楯縫神社を経由した水運も利用するルートが阿見町を経由する陸上ルートに変わったのではないでしょうか?
信太の楯縫神社辺りから牛込辺りを通って霞ケ浦(流れ海)を渡るのが昔のルートだとばかり思っていましたが、確かに阿見町の方から舟で行くこともありそうですね。
ただ渡った先のルートがどうもわかりづらい。
鎌倉街道が胎安神社辺りから江後田辺りに出て霞ケ浦へという話もあった(子安神社の宮司談)ので・・・。
まあたくさんのルートがあったのかもしれませんね。
このところ、毎日飽きずに神社の方位角を測っているといろいろわかってきます。
例えば、筑波山~鹿嶋神宮~香取神宮が作る三角形は奇麗な数字と巷間言われてますが、正確に測ると香取神宮の位置よりちょっと南西方向にある香取小学校の位置のほうが綺麗に数字が揃った三角形になるから、実は香取神宮はいつのまにか移動したのではないか?とか
平沢官衙から直線上に官衙が並んでいるという記事があるけど、では信太郡衙の位置はどうなってるのか調べてみたら、稲敷市下君山の郡衙跡の直近にも鹿島神社があるからこの神社のデータを使って平沢官衙との方位角を測ると150°(30°)となり、また新治郡衙と平沢官衙を測ると165°(15°)になり他の官衙と直線状に並んでるなどです。
他にも角度についての発見はあるけど、これが人為的に角度を決めたものかあるいは偶然なのか判別が困難であることから今後どのようにまとめて行こうかと悩んでいます。
> 鹿島神社は本当に多いですね。
茨城は鹿島神社がやはり多いですね。武人の神ですから今では剣道の生徒さんなどもお参りしているようです。
> このところ、毎日飽きずに神社の方位角を測っているといろいろわかってきます。
> 例えば、筑波山~鹿嶋神宮~香取神宮が作る三角形は奇麗な数字と巷間言われてますが、正確に測ると香取神宮の位置よりちょっと南西方向にある香取小学校の位置のほうが綺麗に数字が揃った三角形になるから、実は香取神宮はいつのまにか移動したのではないか?とか
おもしろいですね。私も香取神宮もきっと動いているのだと思います。
> 平沢官衙から直線上に官衙が並んでいるという記事があるけど、では信太郡衙の位置はどうなってるのか調べてみたら、稲敷市下君山の郡衙跡の直近にも鹿島神社があるからこの神社のデータを使って平沢官衙との方位角を測ると150°(30°)となり、また新治郡衙と平沢官衙を測ると165°(15°)になり他の官衙と直線状に並んでるなどです。
そうですか。まだ私にはわかりにくい話ですが、面白い調査ですね。
今度歩くと気に方位磁石でも持っていこうかな?
でも何かとんでもないことに踏み込んでしまうのかも・・・・。
是非まとめて何処かで報告してください。