室崎神社(阿見)
先日紹介した2つの阿見神社と鹿島古女子神社。
お互いに関係していそうな神社だ。
そして中郷と竹来の2つの神社を結ぶ道路の中間点に道がクランクに折れ曲がった場所がある。
そこに「室崎神社」という神社が祀られていた。
前に気になって写真だけ撮ってきていたのだが、今日は各ネタも切れたのでそろそろ記事を書かねばと引っ張り出してきた。

木々で囲まれてはいるが特にこれといった特徴もなさそうな神社であった。
そして入口鳥居に掲げられている額には「室﨑神社」と書かれている。
神社の場所は「曙」となっているが、元々はこの辺りは大室と呼ばれていたらしい。

そればかりか、この神社の創建はかなり古く、貞観元年(862年)とか、仁和3年(887年)とかいわれているという。

そして祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこ)である。
これは他の阿見神社にも見られる神であるが鹿島神宮に行った時調べた旧摂社「坂戸神社」の神であり、藤原氏の前の中臣の氏神様だったはずである。
藤原氏の建てた春日大社の神様でもある。
すると鹿島地区における経津主命を祀る「沼尾神社」と、天児屋根命を祀る「坂戸神社」の関係や、阿見地区の阿見神社、美浦村の楯縫神社などとがかなり関係してくるのだ。
阿見地方における経津主命を祀る神社には廻戸(はさまと)にある「十握(とつか)神社」があるという。
どのような関係があるのか気になる。(古来竹来三社とよばれたという)
この室崎神社拝殿前には小さな相撲の土俵がある。
大人が相撲を取るには小さすぎるのでちびっ子相撲でも行なわれているのだろうか。


拝殿裏に本殿が置かれている。
竹来三社の一つらしいが、竹来阿見神社に合祀されてもこうして元の場所に残るというのは鹿島神宮の坂戸社、沼尾社などとも同じなのかもしれない。
この辺りは香取社もきっとあったのではないだろうか。
しかしそのほとんどが鹿島神社になって行ったのかも知れない。
このあたりでは鹿島の神(タケミカヅチ)も香取の神(フツヌシ)もどうやら一緒の神として混ざり合っているようだ。
お互いに関係していそうな神社だ。
そして中郷と竹来の2つの神社を結ぶ道路の中間点に道がクランクに折れ曲がった場所がある。
そこに「室崎神社」という神社が祀られていた。
前に気になって写真だけ撮ってきていたのだが、今日は各ネタも切れたのでそろそろ記事を書かねばと引っ張り出してきた。

木々で囲まれてはいるが特にこれといった特徴もなさそうな神社であった。
そして入口鳥居に掲げられている額には「室﨑神社」と書かれている。
神社の場所は「曙」となっているが、元々はこの辺りは大室と呼ばれていたらしい。

そればかりか、この神社の創建はかなり古く、貞観元年(862年)とか、仁和3年(887年)とかいわれているという。

そして祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこ)である。
これは他の阿見神社にも見られる神であるが鹿島神宮に行った時調べた旧摂社「坂戸神社」の神であり、藤原氏の前の中臣の氏神様だったはずである。
藤原氏の建てた春日大社の神様でもある。
すると鹿島地区における経津主命を祀る「沼尾神社」と、天児屋根命を祀る「坂戸神社」の関係や、阿見地区の阿見神社、美浦村の楯縫神社などとがかなり関係してくるのだ。
阿見地方における経津主命を祀る神社には廻戸(はさまと)にある「十握(とつか)神社」があるという。
どのような関係があるのか気になる。(古来竹来三社とよばれたという)
この室崎神社拝殿前には小さな相撲の土俵がある。
大人が相撲を取るには小さすぎるのでちびっ子相撲でも行なわれているのだろうか。


拝殿裏に本殿が置かれている。
竹来三社の一つらしいが、竹来阿見神社に合祀されてもこうして元の場所に残るというのは鹿島神宮の坂戸社、沼尾社などとも同じなのかもしれない。
この辺りは香取社もきっとあったのではないだろうか。
しかしそのほとんどが鹿島神社になって行ったのかも知れない。
このあたりでは鹿島の神(タケミカヅチ)も香取の神(フツヌシ)もどうやら一緒の神として混ざり合っているようだ。
室崎神社も気になる存在ですね。
古女子の方位線を調べるとあちこちにつながる八方美人ですが、室崎は古女子と関係があるけどその他の神社とはほとんどつながらないから逆に気になります。
室崎~古女子の線をずっとたどっていくと稲敷市阿波埼の城跡の三角点に当たるけどその先に何があるのか不明です。
今日は北浦周辺で古女子神社の方位線に関係がありそうな神社を次の順に巡ってきました。
かすみがうら市田伏 粟島神社(現地は稲荷神社)
行方市玉造甲 玉造大宮神社
行方市玉造芹沢 武蔵野神社(現地は名称不明)
鉾田市塔ケ崎 大宮神社
鹿嶋市津賀 唐臼神社
行方市根小屋 八幡神社
有名な神社としては行方の玉造大宮神社でこれは映画「サクラ花」のロケ地になったと看板があります。
ここの雰囲気はしっとりとしたなかなか奥ゆかしいものです。
現地に行ったところで何か新しい発見がある可能性はほとんど無いのだけどやはり実際に現地に行くといろいろ先人の苦労が偲ばれます。
> 室崎~古女子の線をずっとたどっていくと稲敷市阿波埼の城跡の三角点に当たるけどその先に何があるのか不明です。
そうですか。阿波崎は満願時という寺には行きましたが城跡の場所はわかりませんでした。
> 今日は北浦周辺で古女子神社の方位線に関係がありそうな神社を次の順に巡ってきました。
随分いろいろ行かれたのですね。
この中ではあまり行ってういませんが、玉造大宮神社や唐臼神社それに塔ケ崎大宮神社は記憶にあります。
この塔ケ崎大宮神社はもう一つの十一面観音の隣りに隠れたようにあったのがそうですよね。
それにしてもあまり知られていないところが多いですね。
まだ行っていないところが何箇所かあるので今度時間があったら立ち寄ることにします
> 現地に行ったところで何か新しい発見がある可能性はほとんど無いのだけどやはり実際に現地に行くといろいろ先人の苦労が偲ばれます。
その通りですね。実際に行かないと周りの雰囲気もありますので必要なことだと思っています。
これからもまたお教えください。
かすみがうら市田伏 粟島神社(現地は稲荷神社)
行方市玉造甲 玉造大宮神社
行方市玉造芹沢 武蔵野神社(現地は名称不明)
鉾田市塔ケ崎 大宮神社 (大宮稲荷の名称表記もあり)
鹿嶋市津賀 唐臼神社は鹿島神宮から見て北西60°
行方市根小屋 八幡神社は鹿島神宮から見て北西30°にあるからついでに回ってきました。
神社を調べるようになってから気になったのですが、あまり有名でなくて、仏教寺院の傍にある神社は稲荷に化ける例が見受けられるようですが何かご存じありませんか?
そんなにこの「古女子神社」が中心となるのでしょうか。
特別な何かありますか。
こちらの神社は竹来の阿見神社の後からできたような気がしています。(親子でこちらが子供?)
> 神社を調べるようになってから気になったのですが、あまり有名でなくて、仏教寺院の傍にある神社は稲荷に化ける例が見受けられるようですが何かご存じありませんか?
よくわかりませんが、稲荷神社は神道、仏教両方の要素がありそうですね。
元々は地域の氏神様(豊作祈願)のような要素が強いようですので伏見稲荷系列でない(赤い鳥居でない)稲荷神社があって神宮寺のように寺が分かれたのか、寺の境内に氏神稲荷を祀ったのか色々ありそうな気がします。
1000年以上も経ってからどの神社が新しいか?なんて創建当時の大工さんが聞いたらびっくりするでしょうね。
今作ってるこの神社が一番新しいに決まってるじゃん!
>そんなにこの「古女子神社」が中心となるのでしょうか。
>こちらの神社は竹来の阿見神社の後からできたような気がしています。(親子でこちらが子供?)
竹来の阿見神社が一番古くて、古いだけにその後の測地技術から取り残されて方位線とは無縁になっていると解釈するとわかりやすい。
技術の進歩で方位線を引く適当な場所を探して見つけたのが古女子神社のような気がしています。
阿見の阿見神社は参道の脇を街道が通過する構造となっているからこちらは鎌倉古道を整備するときの中継用に作ったんじゃないでしょうか?で、名前だけは地名を取って阿見神社としたとか。
他にも参道の脇を街道が通過している例はあちこちで見ますが鹿島神社か八幡神社を名乗っている例が多いかも。
> 1000年以上も経ってからどの神社が新しいか?なんて創建当時の大工さんが聞いたらびっくりするでしょうね。
> 今作ってるこの神社が一番新しいに決まってるじゃん!
本当にそうですよね。でもこの方位測量技術で色々な場所が確立されてつながっているということも知ったらびっくりするかもしれませんね。
これらに小さな神社が皆測量に合わせて建てられているというのも無いかもしれません。
たしかに息栖神社を移動した時にはかなり正確に近く三社が直角正三角形に並びますし、鹿島神宮と旧摂社の沼尾神社から奥宮、郡家、元宮まで直線状に並ぶのも意図的には感じます。
どこまでが意識されて作られているのか、偶然なのか 分からないですね。