古東海道の終点駅家(うまや)には諸葛菜の花がゆらめいて・・・

 奈良時代初めに律令制がしかれると全国の国府と中央畿内を結ぶ官道が整備された。

しかしこの道は次第にすたれ今ではほとんどわかっていない。

当時は東北は蝦夷であり、畿内(伊賀国)から東の海寄りを通る官道が古代の東海道であり、終点が常陸国であった。

常陸国の国府は現在の石岡市にあった。
その国府の駅家(うまや)には馬が常駐されていた。

問題はこの駅家がどこにあったかということだが、それがほとんど書かれたものがない。

鈴の宮神社に奉納されたという鈴はこの駅家の合図に使われた鈴であるというが、多分もう少し時代は後のことかもしれない。

昔は、高浜方面からこの国府に向かったものと思われるため、高浜街道を高浜方面から貝地の信号(6号国道)へ出て国府に向かったと思われる。

この貝地の信号の少し石岡駅側の高くなったところにその駅家の跡といわれる場所が眠っている。

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周りを住宅に囲まれているわずかな空き地にこんもりと小山が築かれ、その上に「庚申塔」と「月読尊」の石碑がおかれている。

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そしてそこには中国の三国志時代に諸葛孔明が食料として栽培したともいわれる紫色のきれいな花がいっぱい咲いていた。

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この花は、日本では牧野富太郎博士が「オオアラセイトウ」と名づけて辞書に載ったが、呼び名はたくさんある。
孔明にあやかって「諸葛菜」、紫の菜であるの「ムラサキハナナ(紫花菜)」、また食べられるので「ダイコンの花」または「花ダイコン」ともいう。

しかし石岡にある江戸時代創業の薬局屋「灰吹屋」さんの前のご主人(お医者さん:山口誠太郎さん)が1939年に旧日本陸軍衛生材料廠の廠長として南京に行っていたときに、紫金山の麓にたくさん咲いていた紫の花の美しさに感動し、この種子を持ち帰ったといいます。

そして、日本で育て「紫金草(しきんそう)」と名前をつけ、育てて増やした種子を知人や近隣の人に分けてきたといいます。
それが各地に広がり今では各地でみられるようになりました。

正式名はすでに牧野博士がつけた名前があったため、この紫金草は一部の愛好家で呼ばれているにすぎません。

でもこの駅家と思われる場所に紫の花が咲き誇っているように咲いているのもまた不思議な気がします。

ここではるか昔をしのんでみるのもよいかもしれません。

古東海道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/04/20 20:46
コメント
No title
食用の花とはね。しかも中国から比較的最近持ち帰られたとは。牧野富太郎の原色牧野植物大図鑑にて学術名で調べますとハナダイコンとして載っていました。紫が綺麗です。
kincyanさん
> 食用の花とはね。しかも中国から比較的最近持ち帰られたとは。牧野富太郎の原色牧野植物大図鑑にて学術名で調べますとハナダイコンとして載っていました。紫が綺麗です。

牧野博士の図鑑を調べてくれたのですか。すごいですね。
一般には江戸時代に日本に持ち込まれた花だそうですが、最近各地でよく見かけるようになりました。

前に「紫金草」の話を書いたときはまだあまり見かけなかったように思います。
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-385.html


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