主石神社(鉾田市)
鉾田市といっても茨城空港のすぐ北で、小美玉市との境界に近い大和田にある主石神社を紹介します。
前からなんとなくこの「主石(ぬしいし)」という名前が気になっていた神社です、先日銚子に行ったときに、こちらを回っていくことにしました。
この神社はれっきとした延喜式の式内社です。
住所は鉾田市大和田字明神山と神様が宿る場所といわれているようです。

岩間の天狗の森「愛宕山」から霞ヶ浦の北浦に注ぐ「巴川」がこの大和田地区を流れていますが、この川に沿って少し北側に入ったところにこの神社があります。すぐ近くには「大和田小学校」があります。
目の前の道路はちょうど舗装工事中でした。
道路脇こんもりした森の少し高台に鳥居があり、神社に階段を少し登ります。

創建年代は不詳だが、三代実録などの記述がこの社のことだとすればそれより古いので、8世紀ころの創建か。
説明によれば村人がここで成長する石を発見し、その成長が止まらないので、この石の上に社を建てて主石大明神として祀ったと言う。
この神社の祭神は「大山祇神」だが、社殿によれば、「その石が四~五尺余りの大きさとなって光をはなっていたと。そこへ、老翁が出現し、「吾は大山祇神」と名乗って消失した」と伝わっているという。

鳥居をくぐって少し上ると、正面に拝殿が見え、左手がこんもりとした小山がある。
こちらにも注連縄などが張られていて、神域のようだ。
この山が明神山なのかもしれない。
感覚としては古墳ではないかと思う。

こちらが拝殿。手前に姿のよい狛犬(昭和15年製)が鎮座している。

こちらが本殿だが、内部はわからない。
成長する石はこの本殿の下にあるのか?
本殿の扉を開けると床いっぱいくらいの大きな石があるそうです。
この今の本殿が造られたのは、はっきりしていないが、天正年間(1573-91)の建築ともいわれているとか。
石を祀っているところは結構ある。
特に印象的な場所としては城里町の「石船神社」がある。
(以前に書いたブログ記事1 → こちら)
(1300年歴史の里<石岡ロマン紀行>の記事 → こちら)
ここは確か大きな石を落ち葉で隠して周りを囲って御神体としていた。

本殿の裏に大きな杉の木が1本あり、これがこの神社の御神木のようだ。

木の根元にはいろいろな焼き物などが置かれていた。

この神社には春に紅葉するモミジの木が数本あった。
狛犬と対比してみると秋のような感じになるが、まだ4月だ。

狛犬の表情もいいです。昭和15年製という。

さて、こちらの山には小さな祠が2つ。
どうもここまできて山に登らないのは後で後悔するので、しっかりと上ってきました。

上から見ると神社はこんな感じに見えます。

鳥居わきにつながる方を見おろせば・・・。

山の上のもうひとつの祠です。

下に下りると脇には子安観音石像などが置かれていました。
歴史的なものはわかりませんが、北浦から巴川をさかのぼると、岩間の愛宕山に至ります。
この川沿いにもどこか歴史の流れを感じてしまいます。
ここも交通の便がよいとはいえません。
忘れられているような社ですが、長い歴史を背負っているようです。
社殿の建設が天正年間というのも気になります。
石岡(府中)の大掾氏が滅びたのは天正18年(1590年)だった。
この神社の神紋は三つ巴。
どこかでつながるか?
前からなんとなくこの「主石(ぬしいし)」という名前が気になっていた神社です、先日銚子に行ったときに、こちらを回っていくことにしました。
この神社はれっきとした延喜式の式内社です。
住所は鉾田市大和田字明神山と神様が宿る場所といわれているようです。

岩間の天狗の森「愛宕山」から霞ヶ浦の北浦に注ぐ「巴川」がこの大和田地区を流れていますが、この川に沿って少し北側に入ったところにこの神社があります。すぐ近くには「大和田小学校」があります。
目の前の道路はちょうど舗装工事中でした。
道路脇こんもりした森の少し高台に鳥居があり、神社に階段を少し登ります。

創建年代は不詳だが、三代実録などの記述がこの社のことだとすればそれより古いので、8世紀ころの創建か。
説明によれば村人がここで成長する石を発見し、その成長が止まらないので、この石の上に社を建てて主石大明神として祀ったと言う。
この神社の祭神は「大山祇神」だが、社殿によれば、「その石が四~五尺余りの大きさとなって光をはなっていたと。そこへ、老翁が出現し、「吾は大山祇神」と名乗って消失した」と伝わっているという。

鳥居をくぐって少し上ると、正面に拝殿が見え、左手がこんもりとした小山がある。
こちらにも注連縄などが張られていて、神域のようだ。
この山が明神山なのかもしれない。
感覚としては古墳ではないかと思う。

こちらが拝殿。手前に姿のよい狛犬(昭和15年製)が鎮座している。

こちらが本殿だが、内部はわからない。
成長する石はこの本殿の下にあるのか?
本殿の扉を開けると床いっぱいくらいの大きな石があるそうです。
この今の本殿が造られたのは、はっきりしていないが、天正年間(1573-91)の建築ともいわれているとか。
石を祀っているところは結構ある。
特に印象的な場所としては城里町の「石船神社」がある。
(以前に書いたブログ記事1 → こちら)
(1300年歴史の里<石岡ロマン紀行>の記事 → こちら)
ここは確か大きな石を落ち葉で隠して周りを囲って御神体としていた。

本殿の裏に大きな杉の木が1本あり、これがこの神社の御神木のようだ。

木の根元にはいろいろな焼き物などが置かれていた。

この神社には春に紅葉するモミジの木が数本あった。
狛犬と対比してみると秋のような感じになるが、まだ4月だ。

狛犬の表情もいいです。昭和15年製という。

さて、こちらの山には小さな祠が2つ。
どうもここまできて山に登らないのは後で後悔するので、しっかりと上ってきました。

上から見ると神社はこんな感じに見えます。

鳥居わきにつながる方を見おろせば・・・。

山の上のもうひとつの祠です。

下に下りると脇には子安観音石像などが置かれていました。
歴史的なものはわかりませんが、北浦から巴川をさかのぼると、岩間の愛宕山に至ります。
この川沿いにもどこか歴史の流れを感じてしまいます。
ここも交通の便がよいとはいえません。
忘れられているような社ですが、長い歴史を背負っているようです。
社殿の建設が天正年間というのも気になります。
石岡(府中)の大掾氏が滅びたのは天正18年(1590年)だった。
この神社の神紋は三つ巴。
どこかでつながるか?
この神社はわりと早い時期に舘山稲荷と大洗の神明大神宮を結ぶ線上を地図で探った時に見つけました。
残念ながら線上から少し外れているから舘山稲荷のグループではないと判定しましたが、
筑波山麓の沼田八幡古墳群の真東に当たる位置にあることがわかりました。
石岡から太平洋岸までの台地は神社がたくさんありますね。
そうですか。あまりこのあたりも通る道ではないので始めてきました。
ここを流れている巴川沿いに何か昔の人の流れがあるように感じました。
> 残念ながら線上から少し外れているから舘山稲荷のグループではないと判定しましたが、
> 筑波山麓の沼田八幡古墳群の真東に当たる位置にあることがわかりました。
沼田八幡古墳群はよくわかりません。
ここの小山も古墳ではないかと感じました。
つながりがあるのでしょうか。
石を祀るといえば筑波山も巨岩信仰ですね。
> 石岡から太平洋岸までの台地は神社がたくさんありますね。