徳宿沼尾神社

 茨城空港北側の鉾田市大和田にある「主石神社」から次の目的地に向かう途中「徳宿」というところを通った。
なにやら古くからありそうな家並みがあった。
名前も徳宿(とくしゅく)といかにも宿場があったかのような地名である。

しかし、ここも比較的近くの「借宿」と同じようにどうも宿場があったような形跡は無い。
やはり前に借宿で書いたように「宿」というのは沼地、湿地帯のことなのか?

街中にそれを象徴するような神社があった。

旧村社「沼尾神社」である。

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街道側にこのような大きな鳥居があり、参道がうっそうとした森に下っていくように続いていた。

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参道に入って少しいくとすぐに奥に社殿が見えてきた。

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神社社殿前に大きな古木が1本そびえ立っている。

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この古木は樹齢約700年といわれる大けやきの木で神社の御神木であり、鉾田市の指定文化財だ。

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現地説明によればここは、石岡の 常陸平氏(大掾氏)の一族である平成幹(なるもと)(鹿島三郎)が鹿島郡に入って「鹿島氏」をなのり、その長男の親幹がこの地に入ってここ徳宿を領有し、徳宿氏を名乗ったという。

鹿島氏(鹿島三郎)を踏襲したのは6人の子供のうちでやはり鹿島神領を相続した三男の政幹(同じ鹿島三郎を踏襲)である。
(鹿島成幹が亡くなったのが1109年だからこの死亡によって相続したということになる)

一方この徳宿氏も文明18年(1486)、徳宿九代目道幹の時に、江戸氏から攻撃を受け滅んだ。
しかし、一部の生き残りが城里町大山に逃れたとの記事(こちら)もありました。
大山も一時何度も近くを散策したことがありましたので、どのようにつながっていたのかはまた調べてみたいと思います。

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拝殿。
祭神は鹿島神宮の主神であるタケミカヅチ
神社の創建は、天福2年(1234)。

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これが樹齢700年ほどという大ケヤキ。立派な枝振りであった。

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こちらが本殿。何度か改築しているようだが趣のある社殿だ。

さて、沼尾神社といえば思い出すのは一つは鹿島神宮の摂社である沼尾神社で祭神が沼尾神社は香取神宮の祭神である「経津主(ふつぬし)神」であった。
もう一つは水戸市にある甲斐武田氏の発祥の地といわれる武田冠者のいた湫尾(ぬまお)神社である。
この武田氏は鹿島氏の主君であったとも言われる源義光(新羅三郎)が自分の次男と過ごした場所にある。

その後義光と次男の源義清とともに常陸国を追われて甲斐に逃げてそこで土着したのが甲斐武田氏の始まりとも言われている。

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手前の街道に出るとすぐ近くのT字路の突き当たり近くに古びたお堂が建っていた。

まあ古い地区には同じようなお堂をよく見かけるが、このお堂の前が地区のごみ集積場となっているようだ。
空いた場所というのでやむをえない面もあるが、お堂の前の地蔵さんも少し泣いているようにも見えた。

鉾田 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2016/04/30 17:39
コメント
No title
沼尾神社の位置を調べたら
桜川市・大国玉神社~真家・明圓寺~沼尾社と直線でつながりますが理由があるかないかは不明です。

養蚕については前に合掌造りの見学で聞いた話で、蚕の糞をあつめて火縄銃の火薬の原料にしたというのがあっって、蚕が妙な所で役に立っているなぁ。と感心したことを思い出しました。

今日は古渡で小野川を渡って阿波崎の城跡に行きました。
ここは地図上に神社マークがないけど
古女子~楯縫~阿波崎~玉田と
神崎~阿波崎~根幡~稲荷~塔ケ崎~大洗神明大神宮
と2本の直線の交点にあたる場所からみて神社がありそうだということで調査しました。
現地に行くと城跡の三角点近くに天満宮があったけど、古くからあるものか南北朝以降に作ったものかは不明です。
ここの三角点の標識にはICタグが埋め込まれており国土地理院のHPによると今後ICタグ付きの標識に徐々に交換していくようです。

うさぎ小屋様
いつもコメントありがとうございます。

> 沼尾神社の位置を調べたら
> 桜川市・大国玉神社~真家・明圓寺~沼尾社と直線でつながりますが理由があるかないかは不明です。

まあ位置関係は調べていないし、この神社がたてられたのはおそらく12世紀初頭。鹿島の沼尾神社が先にあってこちらにも持ってきたような感じです。

> 養蚕については前に合掌造りの見学で聞いた話で、蚕の糞をあつめて火縄銃の火薬の原料にしたというのがあっって、蚕が妙な所で役に立っているなぁ。と感心したことを思い出しました。

面白い話ですね。こんなのも原料になるんですね。

> 今日は古渡で小野川を渡って阿波崎の城跡に行きました。

いよいよ少しこちらにも進出ですね。
阿波崎は満願寺という寺が印象的でした。
これも元は中妻という場所にあったようなのでこの浮島が島であった時に、阿波崎は文字通りの岬。
その先端の東側ですね。城跡は先端の西側?の小山ですよね。(よくわかっていませんが)

香取市の側高神社に伝わる話に常陸国の馬をかすめて上総に持ってくるときに浮島を陸続きにして連れて帰ったというのがあって敵が追ってきたときに島にして追いかけられなくしたというのを面白く感じました。
でも常陸の名馬というのは霞ケ浦の向こう岸なんですよね。

いろいろわからないことがあって楽しいですね。
No title
こんばんわ。
今日は浮島の景行天皇の行在所の傍を通ったから行在所に上ってみようかとも考えたけど葉が生い茂って見晴らしは期待できそうにないから冬場に期待して今回は諦めました。
阿波崎の城跡では筑波山方面に向けて樹木を伐採して見晴らしを確保している場所があり筑波山が良く見えることを確認しました。

神社の成立年代を推定する方法の一つとして、式内社との関係で何かが判るのではないか?と考えて古女子グループとあちこちの式内社の位置関係を少しみています。
今の所、直感的には式内社と古女子グループとの関係は薄いのではないかと感じています。
式内社との関係が薄いということであれば古女子グループの神社は式内社成立時期より少し遅れて作られたと結論付けができるだろうと考えています。
式内社としては、鹿島神宮、香取神宮の他に
桜川市 大国玉
常陸大宮市 甲
常陸太田 稲村
那珂市 静
大洗 磯前
城里町 岩船
まで調べたところです。
うさぎ小屋さん
> 今日は浮島の景行天皇の行在所の傍を通ったから行在所に上ってみようかとも考えたけど葉が生い茂って見晴らしは期待できそうにないから冬場に期待して今回は諦めました。

確かにやぶだらけかもしれませんね。それに碑と説明看板があるだけ。

> 阿波崎の城跡では筑波山方面に向けて樹木を伐採して見晴らしを確保している場所があり筑波山が良く見えることを確認しました。

いいですね

> 神社の成立年代を推定する方法の一つとして、式内社との関係で何かが判るのではないか?と考えて古女子グループとあちこちの式内社の位置関係を少しみています。
> 今の所、直感的には式内社と古女子グループとの関係は薄いのではないかと感じています。

延喜式の成立は10世紀初頭だから9世紀初めの大同年間創設といわれる多くの神社との関係が難しそうですね。

> 式内社との関係が薄いということであれば古女子グループの神社は式内社成立時期より少し遅れて作られたと結論付けができるだろうと考えています。

息栖神社が方位を考えて移動されたのが西暦806年といわれているので、ある程度方位の測量はできていそうだという気もしますね。

> 式内社としては、鹿島神宮、香取神宮の他に
> 桜川市 大国玉
> 常陸大宮市 甲
> 常陸太田 稲村
> 那珂市 静
> 大洗 磯前
> 城里町 岩船
> まで調べたところです。

この中で甲神社と稲村神社は行ったことがありませんし、式内社ということも知りませんでした。
機会があれば行ってみたいと思います。


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