玉沢稲荷神社(冷水)-1
鉾田市の徳宿から樅山へ行き、もう一か所そのまま東に進んで子生(こなじ)の少し南にある「冷水」というところに行きました。
ここの稲荷神社の本殿が文化財というので探しながら行きました。
冷水さんはこのあたりの出身なのでしょうか。
国道51号線沿いに冷水への案内看板があったのでそのまま東の鹿島灘方面に進みました。
すると道は狭くなってくねくねしてどこを走っているのかわからなくなってきました。
それでもそれらしき場所を探しているとこんもりとした場所があり、そこが探していた玉澤稲荷神社でした。
鹿島灘が近いことはわかりますが、ここから直接海は見えそうで見えません。

通りよりは少し下がって、少し上った場所に神社があります。
鹿島灘には砂浜の美しい冷水海岸があり、この鹿島灘と玉澤稲荷神社の領域を含めて「茨城の自然100選」に登録されているそうです。

稲荷神社ですのでキツネがあちこちに置かれています。

この神社も古く樹齢800年ほどの木もあるようです。

源頼義が長男の八幡太郎義家とともに前九年の役で奥州征伐に向かう時にここで霊験を授かったという伝承もあるとようです。
ただ石岡から見ると頼義がこのあたりを通ったというのはどうもイメージがわきません。

深い樹叢の中に建てられた神社という感じですが、すぐ先は海がきっと見下ろせる場所であったのだと感じます。
風や音はまさに海を感じます。

稲荷神社ですので祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ですので食物・穀物の神様です。



ここの本殿は市の文化財ですが彫刻などは目を見張るものがありました。
時間も無くなりましたのでこちらは明日書きます。
それにしても世の中は連休ムードですが、どこに行っても行楽地は人がいっぱいのようです。
こういう時はおとなしく家でのんびりしていましょう。
「ふるさと風の会」の会報が120号を迎える。
月1回の発行だから10年になる。
10年ひと昔とはいえなかなか続けることは難しい。
こちらの記念号も来月発行するのでそろそろ記事も書かねばならない。
結構やることがあるものだ。
ここの稲荷神社の本殿が文化財というので探しながら行きました。
冷水さんはこのあたりの出身なのでしょうか。
国道51号線沿いに冷水への案内看板があったのでそのまま東の鹿島灘方面に進みました。
すると道は狭くなってくねくねしてどこを走っているのかわからなくなってきました。
それでもそれらしき場所を探しているとこんもりとした場所があり、そこが探していた玉澤稲荷神社でした。
鹿島灘が近いことはわかりますが、ここから直接海は見えそうで見えません。

通りよりは少し下がって、少し上った場所に神社があります。
鹿島灘には砂浜の美しい冷水海岸があり、この鹿島灘と玉澤稲荷神社の領域を含めて「茨城の自然100選」に登録されているそうです。

稲荷神社ですのでキツネがあちこちに置かれています。

この神社も古く樹齢800年ほどの木もあるようです。

源頼義が長男の八幡太郎義家とともに前九年の役で奥州征伐に向かう時にここで霊験を授かったという伝承もあるとようです。
ただ石岡から見ると頼義がこのあたりを通ったというのはどうもイメージがわきません。

深い樹叢の中に建てられた神社という感じですが、すぐ先は海がきっと見下ろせる場所であったのだと感じます。
風や音はまさに海を感じます。

稲荷神社ですので祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ですので食物・穀物の神様です。



ここの本殿は市の文化財ですが彫刻などは目を見張るものがありました。
時間も無くなりましたのでこちらは明日書きます。
それにしても世の中は連休ムードですが、どこに行っても行楽地は人がいっぱいのようです。
こういう時はおとなしく家でのんびりしていましょう。
「ふるさと風の会」の会報が120号を迎える。
月1回の発行だから10年になる。
10年ひと昔とはいえなかなか続けることは難しい。
こちらの記念号も来月発行するのでそろそろ記事も書かねばならない。
結構やることがあるものだ。
私は孫守でずっと家にいます。連休が混むといっても茨城県では高速道路と一部の国道以外はむしろ普段より車が少ないくらいで行楽地に住んでると気楽ですね。
前九年の役で調べると下妻市の宗任神社が前九年の役で負けた安倍宗任を祀っているとのことで、さらに調べると現在の安倍総理大臣が安倍宗任の末裔であるとか、私の生まれ故郷である国東半島に宗任が腰かけた石が残っているとかが出てきました。
そういえば高校ではやたらに安倍、阿部という苗字が多かったのは前九年の役で阿部宗任が豊後に流された結果だったのでしょうか。
古代史が現代にまで影響しているというのが凄いですね。
神社の方位線についてはとうとう八溝山、堅破山にたどり着きました。県南の神社だけで収束させたかったけど調べ始めると段々興味が湧いてくるのが困りものです。
毎日連休のようなものですから逆このような日は出かけずにのんびり過ごします。
> 私は孫守でずっと家にいます。連休が混むといっても茨城県では高速道路と一部の国道以外はむしろ普段より車が少ないくらいで行楽地に住んでると気楽ですね。
お孫さんと一緒でいいですね。確かにこのあたりは連休の方が人が少ないくらいです。
> 前九年の役で調べると下妻市の宗任神社が前九年の役で負けた安倍宗任を祀っているとのことで、さらに調べると現在の安倍総理大臣が安倍宗任の末裔であるとか、私の生まれ故郷である国東半島に宗任が腰かけた石が残っているとかが出てきました。
そうですね。この神社も前九年の役の時だと勝手に解釈しましたが、石岡の地も通っていると思われるのでこちらは通らないだろうなどと思ってしまいました。
源頼家が鎮守府将軍になったのが1051年ころだというので年齢としては63歳?
こんな年でも意気盛んで子供まで作っているようですから、私などももう少し元気でいなければなりませんね。
> 神社の方位線についてはとうとう八溝山、堅破山にたどり着きました。県南の神社だけで収束させたかったけど調べ始めると段々興味が湧いてくるのが困りものです。
そうですか。黒坂命の終焉の地ですね。どのようにつながるのでしょうね。
北極星などの方向で見分けがつくのでしょうかね。