福島の原発災害地近くへ(1)

 昨日は妻に頼まれていわき市へ出かけました。

2011年3月の大震災で福島原発近郊の町の人々の多くが福島県南端の比較的放射線量の低いいわき市の仮設住宅に移りました。
そして私の妻は仮設が建設された直後の9月ころよりNPOの活動として毎週土曜日になると小さな軽ワゴン車に野菜や、日用品などをいっぱいつめて現地で販売しています。
仕入れは直接農家さんなどで卸売りの値段で分けてもらい店売りの価格より安くなるように努力して販売しています。

最初は仏花などを無償で配ったりしておりましたが、長く続けるには無償などではとても続けられませんので、有償はいたし方ありません。

困っている人を見ると何とか手助けがしたいとの思いのほうが勝ってくるようです。
仮設住宅に引きこもっていたお年寄りも出てきて話をするようになり、コミュニケーションの場ともなっています。

ほとんど休み無く、雨の日も風の日も出かけていきます。

荷物の準備は手伝ってくださる方がおりますが、現地に行くのは一人のみです。

片道120~130kmほどあり、市町村ごとに仮設住宅の場所が異なり、数箇所を回ります。

そんな中、88歳のおばあさんが亡くなりました。
いつもこの販売車を楽しみに待っていてくれる方でした。

それが2ヶ月ほど前に急に入院して病院に数回お見舞いにも行っていたのですが、残念ながら帰らぬ人になってしまいました。
胆管癌でした。

そのおばあさんはご主人を数年前になくされ、子供もいないため身寄りが誰もいないのでした。

自宅周りの除染が終わりやっと戻れるようになったと喜んで、自宅をバリアフリーに改造などして帰宅するのを楽しみにしていた矢先です。

先週末に出かけた時も病院に行き、危篤となっていて妻も現地に一泊して翌日亡くなったのを見送りました。

そして、ご自宅の近所の方が親身になってお葬式をだしてくれました。
仮設で知り合った方にも妻から連絡したりして、妻もお葬式に行きたいとの話になったのです。

いつもの軽自動車でトンボ帰りするのは大変だろうと今回は私が私の車で送っていくことにしたのです。

私も現地がどんなになっているかを見てみたい気持ちがありました。
当日(昨日)は朝から風雨が強く、式が始まる11時頃には雨もやむ予報でしたので2時間半ほど前の8時半頃に出発です。

連休での混雑が多少心配でしたがそれほど常磐道は込んでいませんでした。
ひたち海浜公園に行く車が水戸の手前まで混んでいたくらいです。

そして涙雨・・・・。

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時間にも少し余裕がありそうなので「関本PA」で小休憩。
ここが茨城県の最北のPAです。

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PA(パーキングエリア)ですが、24時間オープンのコンビニがあります。
食事ができる場所もあります。

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小雨が降る中、新緑や色ついたモミジなども目にやさしく飛び込んできます。

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ここ関本は勿来関に近くそこから名前がついたと思いますが、ここからほんの少し北へ走ると福島県に入ります。

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常磐線の駅名では大津港駅が最も近くなります。

今回いわき市に行って地元の方との会話でこの関本が現地の人にはどういうところであるかを知りました。
このPAなどには何の表示もありません。

それは常磐炭鉱で大いににぎわっていたときです。
明治から炭鉱がいわきを中心に発掘され、この関本でも石炭が見つかり発掘が行われました。

石炭の採掘が始まるのが遅かったせいもあり、このの石炭が一番最後まで採掘されたのです。
他の炭鉱が昭和30年始め頃に次々と閉鎖になっていった中で、関本の炭鉱では昭和40年半ばまで採掘が行われていたのです。

石炭の供給でいわき地方は大いに発展したのです。
そんなこともあり広野に火力発電所ができ、その北の大熊町、双葉町町、楢葉町に原子力発電所が建設されたのでしょう。

今ではこれがなかなか帰ることのできない地となってしまったのです。

斎場はいわき中央インターから近い場所でした。
30分前には到着し、私は式には出ませんので街中の見学です。

その後式も終わり、避難してきている人の故郷などへ行ける範囲で行ってきました。

変わり果てた海岸、復興の進んだ場所、元気に地元を盛り立てているお祭りなどいろいろな姿が見られました。
次回から順に少しだけ紹介したいと思います。

(続く)



近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/05 19:00
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