竹来三社と鹿島三社

竹来(たかく)三社と呼ばれる古社が阿見町にある。
鹿島神宮と密接なつながりを持つことをうかがわせる。


竹来三社4

阿弥神社(竹来) 創建:推古天皇十五年(607年)?
祭神:健御雷之男命   (記事は ⇒ こちら
配祀:經津主命、天兒屋根命  ・・・香島天之大神の三柱

室崎神社  創建:•貞観二年(863年)?
祭神:天兒屋根命  (記事は ⇒ こちら

十握神社 創建:貞観二年(863年)?
祭神:經津主命  (記事は ⇒ こちら)

竹来三社3

常陸国風土記の信太郡のところに

「碓氷から西に行くと高来(たかく)の里がある。昔、天地の初め、草も木も言葉を語ったころに、天より降り来たった神があった。名は普都(ふつ)の大神といひ、葦原の中津の国を巡行し、山川の荒ぶる神たちを和めた。それを終へて天に帰らうとして、身に着けてゐた厳(いつ)の鎧・矛・楯・剣、手に付けてゐた玉を、すべて脱ぎ捨て、この国に遺して、天に昇り帰って行った。」(口訳・常陸コク風土記より)

と書かれている。

この鎧・矛・楯などを脱ぎ捨てた場所が「楯縫神社」と言われていて美浦村に2か所(信太、木原)がある。

kasima4.jpg



常陸国風土記の「香島郡」については次のように書かれています。

「難波の長柄の豊前の大宮に天の下知ろし食しし天皇(孝徳天皇)の御世の、大化五年に、大乙上 中臣子、大乙下 中臣部兎子らが、惣領 高向大夫に申し出て、下総の海上国造の領内である軽野より南の一里と、那賀国造の領内である寒田より北の五里とを引き裂いて、この二つを合併し、新たに神の郡を置いた。そこに鎮座する天つ大神の社(現、鹿島神宮)と、坂戸社と、沼尾社の三つをあはせて、香島の大神と称する」

香島の大神(鹿島神宮、坂戸神社、沼尾神社の三社)  この三社が一直線に並んでいます。

鹿島神宮:創建 神武天皇元年(紀元前660年)?
祭神 武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)  (まとめ記事はこちら

坂戸神社:創建 不明
祭神 天児屋命(あめのこやねのみこと) (記事はこちら

沼尾神社:創建 不明
祭神 経津主(ふつぬし)神  (記事はこちら

もう一つ鹿島神宮境内附郡家跡(記事はこちら)がほぼ並んだ延長上にあります。

風土記の中ではこの鹿島郡の郡家は昔は沼尾神社あたりにあって、そののちにこちらに移したとなっています。
鹿島三社(香島大神)とこの竹来三社の関係が同じようになっているということはとても興味がわきます。

阿見町の竹来阿弥神社が鹿島神宮と同じような位置関係にあり、坂戸神社、沼尾神社に相当するのが室埼神社、十握(とつか)神社となる。

もう一つ鹿島古女子(こなご)神社(記事は⇒こちら)があるが、これは竹来阿弥神社の鹿島御子神(三神)の子孫が建立したといわれる。
創建は 大同年間(806~810)と考えられている。

鹿島神宮の郡家跡の位置関係と同じ場所であり、まだ特定されていない信太郡の郡家がこのあたりに最初にあったのかもしれない。
私の最初にイメージした「竹来 ⇒ 信太 ⇒ 下君山」の遷都の最初の郡家がこの鹿島古女子神社あたりなのかもしれない。

また武甕槌命、天兒屋根命、經津主命 の三神だが、武甕槌命はご存じの全国の鹿島神社に祀られており、經津主命は香取神社に祀られている。
では天兒屋根命というと中臣氏(藤原氏)の氏神である。

藤原氏の建立した春日大社には上の三神に加えて天兒屋根命の妻である比売神(ひめがみ)の四柱を主祭神としている。

藤原氏が日本の歴史を変えてしまったように思うので、このあたりはどう解釈したらよいのかはわからない。
いずれにしても時代が経つにつれて、鹿島神宮の三社としてのまとまりも、この竹来三社のまとまりも薄れて来てしまったようだ。

東国三社といわれる鹿島神宮・香取神宮・息栖神社が直角三角形に配置されたのが息栖神社が大同2年(807)に遷宮されたといわれており、神崎神社(子松神社)が下総と常陸の国境(大浦沼二つ塚)にあった宮を白鳳2年(673年)に移したとされているが大同年間のことだったのかもしれないという気がしてきた。

参考までに前に書いた「茨城県の鹿島・香取神社」の記事を紹介しておきます ⇒ こちら











阿見・美浦・稲敷 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/05/25 20:17
コメント
No title
いつものように鹿島神宮と沼尾神社を結ぶ線を延長すると何処へ行くか?とやってみました。
近場ではそれらしい神社が見当たりませんが、ずっと先の常陸大宮の甲神社、さらに進むと八溝山の頂上付近に当ります。
その昔、まだ何もない雑木林の中で神社の原型である目印の柱を建てるときに山の頂上を目標にしたのではないかと考えています。
調べてみると筑波山は思ったほどは目標にされてなくて、八溝山や堅破山のように頂上に社殿がある山が目標になっているようです。これはいずれ統計を取ってみようと目論んでいます。
神社の創建年代というのは屋根付の社殿を作った時点で、ずっと昔から土着信仰の礼拝所のような場所にここは今日から○○神社とするのだ!と地方の有力者や中央の役人が社殿を建設したのではないかと想像しているところです。

うさぎ小屋さま
いつもありがとうございます。

> いつものように鹿島神宮と沼尾神社を結ぶ線を延長すると何処へ行くか?とやってみました。
> 近場ではそれらしい神社が見当たりませんが、ずっと先の常陸大宮の甲神社、さらに進むと八溝山の頂上付近に当ります。

調べられたのですね。
この方位は鹿島神宮の本殿の向きにも影響していると思っています。
神宮の参道は富士山や伊勢の方向で、これに90度北向きにした方位。蝦夷(東北)を向いているなどと考えますが、そこにほかの神社を配置することは考えていないのではないかと思います。
また鹿島灘や北浦に平行になっているだけかもしれません・・・


> その昔、まだ何もない雑木林の中で神社の原型である目印の柱を建てるときに山の頂上を目標にしたのではないかと考えています。
> 調べてみると筑波山は思ったほどは目標にされてなくて、八溝山や堅破山のように頂上に社殿がある山が目標になっているようです。これはいずれ統計を取ってみようと目論んでいます。

面白そうですね。

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