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潮騒はまなす公園(鹿嶋市)(2)

 鹿嶋市の大野はまなす公園の続きです。
ここに来た目的は公園見物ではなくここに昔あったといわれている「文太屋敷跡」を見てみたいと思ったからです。

室町時代のお伽草紙の中の最初に「文正(ふんしやう)草紙」という話が出てきます。

室町時代には立身出世や目出度い縁起の良い話しとして「縁起物」として語られたようです。
話しのすじをWikipediaから紹介します。(知っている人にはつまらないのですが)

「常陸国の鹿島大明神の大宮司に仕えていた雑色の文太はある日突然大宮司に勘当され、その後塩焼として財産をなして「文正つねおか」と名乗る長者となる。後に鹿島大明神の加護で2人の美しい娘を授かるが、ある日姉は旅の商人と結ばれてしまう。だが、その商人は姉妹の美しさを伝え聞いた関白の息子である二位中将の変装であった。姉は中将に伴われて上洛すると、今度はその評判を聞いた帝によって文正夫妻と妹が召し出された。妹は中宮となり、姉も夫の関白昇進で北政所となってそれぞれ子供に恵まれ、宰相に任ぜられた文正とその妻も長寿を保ったという。」

この塩焼きをして財を成して住んでいたのがこの場所という思われるというわけです。

駐車場隣に高いタワーがありますがその横に美術館があります。この周りにはこの公園建設にかかわった旧大野村の著名人や経済的支援をした幡谷さんの石碑や銅像がおかれているのですが、こちらの屋敷跡の説明は見当たりません。

そのため美術館の建物裏に回ってみたら、そこに屋敷跡の石碑がおかれていました。

P5260034s.jpg

文太長者屋敷跡

 夕日かがやく
   この岡に
 黄金せんばい
   にせんばい

屋敷の由来
「鹿島大明神 宮司の下僕であった文太が下僕をやめて角岡ヶ磯 角折の浜に来て塩炊き の家に雇われ 薪取りや、塩水汲みの仕事をするようになりました。
 陰日向無く誰よりも良く働く文太の姿を見ていた主人から褒美に釜を上げるから自分で塩を作ってみないか と言われ釜をもらって塩を炊きはじめました。 
 作るからには 他の塩に負けない良い塩を作ろうと くふうをこらして作りました。 文太の作った塩は、真白で味も良く、その上病気もなおったと 大変な評判になりました。 そのため 作っても作っても間に合いません。 雇い人達にも屋さしく暖かい言葉をかけていたわったり励ましたりしました。 働いている人達も一生懸命働きましたので ますます良い塩ができたのです。 
 こうして何年も立たないうちに 大金持ちになり長者と呼ばれる身になりました。
 名を文正角岡と改め 何の不自由も無かったのですが 何年たっても子供に恵まれませんでした。
そこで夫婦は鹿島大明神に子供が授かりますようにとお参りをしました。 そのかいがあって、翌年美しい女の子が生まれ、蓮華と名をつけました。その翌年 また女の子が生まれました 蓮御前と名をつけ可愛がった育てました。
 姉妹ともに美しく成人し その噂が塩の評判とともに京の都まで届きました。 姉の蓮華は関白殿下の二位の中将の妻になり京に上りました。
 妹の蓮御前は帝の后に迎えられ、都に上りました。
その後 文正夫婦にも京に上るようにとの使いが来ましたので角折をはなれました。
後に文正は 大納言にまで出世したということです。
この美術館、民俗資料館は文太長者の屋敷の跡に建てたのです。

  平成二年三月 大野村教育委員会 大野村長 生井澤健二」 (現地石碑より)

P5260033s.jpg

このあたりに黄金がいっぱい蓄えられた長者の文正屋敷があったようです。

この草紙をネットで調べていたら明星大学がデジタル版の草紙絵を公開していました。
明星大学絵本・絵巻の世界 ⇒ こちら
 文正草紙は ⇒ こちら

 (平家物語、北野通夜物語、十番切、文正草紙、新曲、徒然草、一目玉鉾)が収録されておりきれいな画像が見られます。

 こういうのはなかなか見られないのでネットで気楽に見れるといいですね。

さて、鹿島灘には釜と名前が付く地名が点在していますがこれはここで塩焼をした釜があったということの名残で、鹿島七釜(前の記事:こちら)として知られています。このはまなす公園のある場所は「角折」にあります。

角折は常陸国風土記に名前の説明が出てくる古い地名です。

文太が鹿島神宮の大宮司に使えていたが、やめて塩焼きになるというのは少し話が飛躍しており、話として造られたものと考えても良いだろう。また鹿島大明神という言い方をしているので、この大明神は「武甕槌神」と当然考えていたのだが、竹来三社を見てきたので、もしかしたら武甕槌神、経津主神、天児屋命の三神の総称としての「香島の天の大神」のことを指しているのかもしれないとも考えられる。

京の都から遠く離れたこの鹿島の地でいくら塩焼で成功したからと言ってこのような出世話となるのかは少し気になるところだが、室町時代には流行った話もいつかは忘れられていくようになっていったものだろう。
お伽草紙なども昔子供の頃に読んだが、「いもがゆ」「浦島太郎」「カチカチ山」などは文豪が自分の小説に取り上げたりして知られるようになった。「鉢かつぎ姫」やこの文正草紙の話もきっと別なアレンジを加えると面白くなりそうである。

なにしろ塩焼きの苦労話がこの文正草紙には出てこない。
安寿と厨子王、信太小太郎などの説話はみな塩汲みで苦労する話が加わっている。






鹿島地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/29 21:58
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