東一の鳥居
鹿島神宮の一の鳥居は大船津の神宮橋横にある鳥居で、建てなおして、いまは水中に立っている赤い鳥居だ。(記事は⇒こちら)
しかしもう一つ東一の鳥居とよばれる鳥居が鹿島灘に面した明石の浜に置かれている。
私も昔、一時レイラインなどというものを考えたことがあり、こんな記事も書いた。
(常陸からみた日本の夜明け 記事は⇒ こちら)
でも最近はこれもあまり興味は失せてしまいあまりこれ以上追いかける気もしない。
ただその時に行かずじまいだったこの東一の鳥居を見ておこうと立ち寄った。

国道51号線の明石の信号から東に入って行って鹿島灘に面したところに立っていました。
でも昔写真で見たときはここから海がすぐ見えていたのに、防潮堤が高くなっていて海が見えなくなっていました。
これでは神様も上がってこれないかもしれませんね。

道路の手前には「鹿嶋大神宮」と彫られた石碑が立っています。
鳥居からこの石碑方向をたどるとどこを向いているのでしょう。
明石の信号のそばに東国三社とは違う「息栖神社」という神社があり、この神社の方向です。
またそのまま進むと鹿島スタジアムを通過して鹿島神宮の摂社である「坂戸神社」の方向を向いているようです。
(大雑把です)
夏至の頃にこの鳥居から日が昇るときっとこの石碑の方向に日がさすのではないかと思われます。
(地軸の傾きの23.4度ほど東より北によります)

ただ、香取神宮と鹿島神宮は45度の角度でつながっていますが、この延長上をたどるとこの東一の鳥居に来るようです。
でも何かとってつけたような感じがしないではありません。

昔の写真ではこのあたりでも向こうの海がみえたのですが、防波堤が高くなると何とも物足りない。

古びた記念碑のような石碑があるのですが謂れが書かれているのではなく、どうやら献金者の名前は彫られているようです。
金○○円だとか、東京市などという文字がかろうじて読めます。

この鳥居の下の黒っぽい堤防が昔の堤防です。白い部分の1~2m位が高くなったようです。

海が見える場所まで移動しました。
鳥居は上の写真のテトラブロックの切れているあたりです。

海岸の南の方にはたくさんの風車が見えます。
波崎から銚子の台地の風車でしょうか。
しかしもう一つ東一の鳥居とよばれる鳥居が鹿島灘に面した明石の浜に置かれている。
私も昔、一時レイラインなどというものを考えたことがあり、こんな記事も書いた。
(常陸からみた日本の夜明け 記事は⇒ こちら)
でも最近はこれもあまり興味は失せてしまいあまりこれ以上追いかける気もしない。
ただその時に行かずじまいだったこの東一の鳥居を見ておこうと立ち寄った。

国道51号線の明石の信号から東に入って行って鹿島灘に面したところに立っていました。
でも昔写真で見たときはここから海がすぐ見えていたのに、防潮堤が高くなっていて海が見えなくなっていました。
これでは神様も上がってこれないかもしれませんね。

道路の手前には「鹿嶋大神宮」と彫られた石碑が立っています。
鳥居からこの石碑方向をたどるとどこを向いているのでしょう。
明石の信号のそばに東国三社とは違う「息栖神社」という神社があり、この神社の方向です。
またそのまま進むと鹿島スタジアムを通過して鹿島神宮の摂社である「坂戸神社」の方向を向いているようです。
(大雑把です)
夏至の頃にこの鳥居から日が昇るときっとこの石碑の方向に日がさすのではないかと思われます。
(地軸の傾きの23.4度ほど東より北によります)

ただ、香取神宮と鹿島神宮は45度の角度でつながっていますが、この延長上をたどるとこの東一の鳥居に来るようです。
でも何かとってつけたような感じがしないではありません。

昔の写真ではこのあたりでも向こうの海がみえたのですが、防波堤が高くなると何とも物足りない。

古びた記念碑のような石碑があるのですが謂れが書かれているのではなく、どうやら献金者の名前は彫られているようです。
金○○円だとか、東京市などという文字がかろうじて読めます。

この鳥居の下の黒っぽい堤防が昔の堤防です。白い部分の1~2m位が高くなったようです。

海が見える場所まで移動しました。
鳥居は上の写真のテトラブロックの切れているあたりです。

海岸の南の方にはたくさんの風車が見えます。
波崎から銚子の台地の風車でしょうか。
私も当初は冬至の日の出の方角に着目して地図を眺めていたのですが、最近は神社の由緒や位置なんてのは1000年以上前がどうだったのか確認のしようがないから、1000年経ったら変わっている可能性があるものと、1000年経っても変わらないものとに分けて考えるようにしてます。
具体的には頂上に神社がある山を基準点にして神社の配置を見たらどうだろう。ということです。
山の頂上の位置座標は1000年くらいじゃ大して変化しませんからね。
> 古代史に興味を持つとレイラインは一度は通る道なのでしょうか。
租のようですね。まあ考え出すとよくできています。
でもやはりどこか作為的な感じが強くなるとやはり気に入らなくなります。
> 1000年経ったら変わっている可能性があるものと、1000年経っても変わらないものとに分けて考えるようにしてます。
> 具体的には頂上に神社がある山を基準点にして神社の配置を見たらどうだろう。ということです。
> 山の頂上の位置座標は1000年くらいじゃ大して変化しませんからね。
確かにそうですね。山岳信仰などもありますので判断も難しいのではないかと思います。
日が沈む方向の山は死後の世界でも考えたのでしょうか?