常灯寺(常世田薬師)-1
飯岡から銚子に向かう(国道126号線)途中に古い薬師さんがあると知って立ち寄っていくことにしました。
真言宗智山派「常灯寺」といい地元では「常世田薬師」として親しまれているという。
場所は銚子市常世田町の北側の山の方に少し入ったところ。
国の重要文化財に指定されている薬師像が保管されている。
無檀家の寺だが地元で大事にされているようだ。

江戸から明治にかけて東総の三薬師といわれて多くの参拝者を集めたが、大正時代には無住となった。

寺の入り口に仁王門がある。


立派な本堂で、千葉県の重要文化財に指定されている。
1673年に建立され、茅葺の立派な屋根の本堂であったが、つい最近、屋根を銅版葺きに改修した。
平成22年から本堂を解体して修理再建して屋根を銅版葺きにした)
まだ一部工事中で、本堂はやっと工事中の足場が外されたばかり。

寺の開祖は有名な「行基菩薩」と伝わっており、奈良時代の創建である。
本堂が作られたのは、棟札によると寛文13年(1673年)(江戸初期)という。

本堂の彫刻はみごとであり、時代を知る上でも貴重なものと思われる。


木造薬師如来像(国指定重要文化財):高さ140.9cm、ヒノキ材の寄木造づくりで、全面に漆箔を施し、刀法に生彩があり、膝も広くよく整い堂々としたものであり、また、こまかく彫出した螺髪、伏目の彫眼、ふくよかな顔、流麗な衣文は、平安時代後期の定朝様式を伝えており、関東における鎌倉時代初期の代表的な作例です。
像の胎内全面には、墨書があり、仁治4年(1243年)に平胤方をはじめ多くの人々の寄進により、仏師豪慶によって修理されたことが記されています。
光背は、全高234.5cmで頂部に三躯の胎蔵界大日如来を配し、左右には、十二躯の飛天(音声菩薩)が舞う華麗な船型飛天光背です。 台座は、仁治年間に修理された八角形の裳懸座であり、この時期では県内唯一のものです。
(「銚子市の生涯学習ガイド まなびのたね」より)
この本尊は毎年正月(1月8日に開帳されている。
もう少し明日にでもまた書きたい。
しかし明日もまた銚子に行き、帰りが夜になるので更新は遅くなりそうです。
真言宗智山派「常灯寺」といい地元では「常世田薬師」として親しまれているという。
場所は銚子市常世田町の北側の山の方に少し入ったところ。
国の重要文化財に指定されている薬師像が保管されている。
無檀家の寺だが地元で大事にされているようだ。

江戸から明治にかけて東総の三薬師といわれて多くの参拝者を集めたが、大正時代には無住となった。

寺の入り口に仁王門がある。


立派な本堂で、千葉県の重要文化財に指定されている。
1673年に建立され、茅葺の立派な屋根の本堂であったが、つい最近、屋根を銅版葺きに改修した。
平成22年から本堂を解体して修理再建して屋根を銅版葺きにした)
まだ一部工事中で、本堂はやっと工事中の足場が外されたばかり。

寺の開祖は有名な「行基菩薩」と伝わっており、奈良時代の創建である。
本堂が作られたのは、棟札によると寛文13年(1673年)(江戸初期)という。

本堂の彫刻はみごとであり、時代を知る上でも貴重なものと思われる。


木造薬師如来像(国指定重要文化財):高さ140.9cm、ヒノキ材の寄木造づくりで、全面に漆箔を施し、刀法に生彩があり、膝も広くよく整い堂々としたものであり、また、こまかく彫出した螺髪、伏目の彫眼、ふくよかな顔、流麗な衣文は、平安時代後期の定朝様式を伝えており、関東における鎌倉時代初期の代表的な作例です。
像の胎内全面には、墨書があり、仁治4年(1243年)に平胤方をはじめ多くの人々の寄進により、仏師豪慶によって修理されたことが記されています。
光背は、全高234.5cmで頂部に三躯の胎蔵界大日如来を配し、左右には、十二躯の飛天(音声菩薩)が舞う華麗な船型飛天光背です。 台座は、仁治年間に修理された八角形の裳懸座であり、この時期では県内唯一のものです。
(「銚子市の生涯学習ガイド まなびのたね」より)
この本尊は毎年正月(1月8日に開帳されている。
もう少し明日にでもまた書きたい。
しかし明日もまた銚子に行き、帰りが夜になるので更新は遅くなりそうです。
コメント