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護国院(鹿島)-1

 鹿島神宮の参道入り口の手前を少し南に入ったと越えろに「護国院」という由緒ある寺があった。
前に神宮に行ったときは神宮にばかり目が行ってこの寺は気が付かなかった。

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寺の西側に入口に大きな看板がある。
「北関東36不動尊霊場 第29番札所 降魔山護国院」とある。

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南側の入り口が正式な入口方向だが「、降魔山 勅願所」と書かれている。
その横に日本語、英語、中国語、韓国語で説明が書かれている。

「護国院は真言宗智山派の寺で、正式には降摩山護国院経音寺(こうまさんごこくいんきょうおんじ)と称し、不動明王を本尊とします。元明天王の和銅2年(709)の開基と伝えられる古刹です。当初は鹿島神宮境内に建立され、神宮不断の護摩所との勅号を受け、国家安穏の護摩祈願祈祷を奉修することから別名「護摩堂」とも言われ、延宝5年(1677)に神宮寺と共に神宮境内から現在地に移されました。
 ご本尊の不動明王様は成田山新勝寺の不動明王様と一木にて彫刻されたとされ、1300年以上経った現在も「国家安穏、市損繁栄」をお護りされています。境内には市指定文化財の板碑があり、南北朝・室町時代の古文書などの護摩院文書が有名です。」

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この庚申塔の説明があります。
「この庚申塔はもと鹿島高等学校北側の鹿島神宮寺址にあり当地現存の庚申塔中最古のもの・・・・・」

昭和51年の都市開発に従ってここに移したとのことです。

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山門。なかなか立派なお堂である。

そばを通ると真っ黒なカラスが不気味に大きな鳴き声を上げた。

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不動堂(本堂)。明治3年の火災で本堂が消失してしまい、この不動堂は佐竹村(現在の常陸太田市)の小松寺より譲り受けたという。

佐竹村の小松寺ということだがよくわからない。
佐竹村は佐竹寺があるところだろうし、小松寺といえば重盛の墓のある城里町の寺が有名だが・・・・

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この寺にはもう一つ大きな大師堂がある。
こちらは明日にまた紹介します。

鹿島神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/06/15 21:40
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