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見える景色も何か殺風景になったようだ。

 石岡市若松町にとても大切な追分(道標)がある。

その追分の周りに草が生えて刈るのが面倒ということなのかわからないが、下の写真のようにモルタルで覆ってしまった。

P7140001s.jpg

何故これが重要な道標だというのか?

P7140002s.jpg

この分けれ路に立つ道標(追分)には

「右 うつの宮かわらい道」
その側面には
「左かきおか まかべみち」
裏面には
「元文二年 巳四月日」

と刻まれています。

元文二年は1737年です。

実はこのうつの宮道=宇都宮街道 は今ではどこなのかよくわからないといわれたりします。
でもこの「かわらい道」は瓦会と石岡(常陸府中)をつなぐ道で大昔に国分寺や国分尼寺の瓦を運んだ道とみられています。

この道標がないとその道からいろいろ思い浮かべるつてが無くなりそうなのです。
うつの宮かわらい道方面に進むとすぐに国分尼寺跡のすぐ横に出ます。

土の部分をコンクリで埋めてしまうと、どうも今までに比べて殺風景になってしまったように思うのは私だけでしょうか?
昔に存在しないものが表面を覆っているので想像が膨らみません。残念です。

P7140003s.jpg

若松町の町名石標もここに置かれています。
これは旧町名を残そうとそれぞれの旧町名の場所の建てられました。

この若松町も江戸時代につけられた名前ですがその前は「長峰寺町」といいました。
明治の火事で焼けるまでこの街には長峰寺という大きな寺がありました。

長 峰寺正俊という名刀鍛冶(刀は国立博物館に所蔵されている)が住んでいて、鎌倉に移ったといわれています。


石岡の街並み | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/14 22:28
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