柿岡のささら

 旧八郷町柿岡の八幡町(荒宿、西町、上宿、仲町)の「ささら」が石岡市役所八郷総合支社の入り口正面に飾ってあった。

もちろんこの週末に行われる柿岡のお祭り(八坂神社の祇園祭)の出し物の一部だが、こうして展示してあるものをじっくり見ることもないのでとても興味深かった。

石岡のおまつりで先陣を務める「富田町のささら」と同じく棒ささらである。

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この三匹の獅子は独特で、茨城県では棒にこの人形を付けて下から操作しておどるものが多く、東北地方に行くと人間がこれをかぶって踊るようになる。

今では八幡町のささらと書かれているが、「荒宿のささら」というのが正解なのだろう。

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富田のささらと違って、このささらは、周りを布で覆っている車のついていない四角い櫓の中に入って踊る。
移動するときはこの櫓を人が担ぎ上げて神輿のように練りながら進む。
いかにも昔はこうした姿だったのだろうという思いがしてくる。
(下の説明では県内唯一だそうだ)

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説明にある長倉義興は文禄四年(1595)に石岡から真っ直ぐ北に進んだ那珂川沿いにある長倉宿(御前山近く)からこの柿岡にやってきた。(佐竹氏が常陸国をほぼ掌握して、この柿岡2320石を長倉義興が所領することになった)

長倉氏は佐竹氏と同じ扇に月丸の家紋を使っている同じ家系であるが、佐竹氏とはこの宗家の覇権争いが絶えなかった。

この長倉義興は佐竹義重の孫である。

佐竹家の覇権争いで1599年に常陸太田の正宗寺に幽閉され、1600年4月死亡した。
毒殺されたとのうわさも絶えない。これで長倉家は滅亡した。

しかし、この柿岡の地には中秋の名月の夜に行われる「じゃかもこじゃん」など、このような民俗芸能が多くもたらされ、今日まで続いている。





八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/23 22:33
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