宮本茶村の墓
前に潮来の街を散策していて「宮本茶村の墓」という標識を見つけて路地を入ったところにある浄国寺という寺を探して見つからずに戻って調べて、寺の隣にあることを知ったのだが、先日また近くを通ったので改めて茶村の墓を訪れた。
茶村のことは土浦の色川三中(いろかわみなか)を調べていたときにも名前が出てきたし、吉田松陰が水戸から潮来経由で銚子に行ったときにも出てきたので知った。
そして潮来や延方郷校などでもよき名前を目にするようになった。

この寺(浄国寺)の西側にこの墓があるが、この場所にこの宮本家があったようだ。

吉田松陰もこの茶村を訪れていて、ここに泊まったのではないかと思う。
そのあと潮来から船で息栖を経由して松岸まで行き、銚子にはそこから歩いて行った。


カメラのレンズが曇ってしまい写真もうまくないが、このような人々の功績などをやはり少しは知らねばならないだろう。


最近少し忙しい。
茶村のことは土浦の色川三中(いろかわみなか)を調べていたときにも名前が出てきたし、吉田松陰が水戸から潮来経由で銚子に行ったときにも出てきたので知った。
そして潮来や延方郷校などでもよき名前を目にするようになった。

この寺(浄国寺)の西側にこの墓があるが、この場所にこの宮本家があったようだ。

吉田松陰もこの茶村を訪れていて、ここに泊まったのではないかと思う。
そのあと潮来から船で息栖を経由して松岸まで行き、銚子にはそこから歩いて行った。


カメラのレンズが曇ってしまい写真もうまくないが、このような人々の功績などをやはり少しは知らねばならないだろう。


最近少し忙しい。
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