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銚子公正図書館

 銚子のヤマサ醤油工場の前の通りの反対側に「銚子市公正図書館」という建物があった。
公正市民館と併設されているようだ。

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入口の近くに「濱口梧洞の銅像」が置かれている。
濱口梧洞はヤマサ醤油10代目の当主(濱口儀兵衛)で醤油王ともうたわれた人物で、現在のヤマサ醤油の近代化の礎を築いた人物だ。

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この場所にヤマサで働く青少年のために明治34年に「浜口家醸造部夜学校」を作ったようだ。
そして大正13年に財団法人公正会を設立して「公正学院」(夜間中学)となり、昭和16年には実業学校として「公正商業学校」となったという。
しかし5回の卒業生をもって昭和22年に廃校となり、昭和23年に市に寄付され図書館へと変わっていったようです。

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公正図書館というのは公正証書などの公的なものと思っていましたが、その意味ではなかったようです。
公平公正の公正ということでよいのでしょう。

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図書館の前の通りの向こう側にはヤマサ醤油の工場があります。

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醤油のタンクが目を引きます。

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図書館の脇には小さな川が流れ「復興橋」という橋が架かっていました。
これは昭和20年7月に戦争の空襲で多くの人々が焼け出されたが、この公正館がコンクリート製であったために焼け残り、建物は臨時病院として使われました。
このため、この滑川 に架かる橋は昭和31年3月に完成したときに「復興橋」と命名されたようです。


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公正館、図書館の入口。

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裏手の庭に回ってみると「公正商業学校記念碑」の石碑が置かれていました。

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またその隣に「婦人会館跡地」の碑もありました。

少し見ただけでもいろいろな歴史が見えてきますね。

ヤマサ10代目当主の濱口儀兵衛(梧洞)については石岡の醤油産業の歴史を調べていたときにも名前が出てきました。
(石岡の醤油産業はなぜ廃れたのか? ⇒ こちら


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/14 23:22
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