多気太郎(4)

 つくば市北条の多気太郎といわれている人物を紹介している。

私は石岡に来るまで「大掾氏(だいじょうし)」などという名前は聞いたこともなかった。
学校の歴史などには登場しないと思う。

石岡では「大掾氏」とあちこちに出てくる。

掾(じょう)というのは地方の国の長官のような役職で大国といわれた常陸国などには大掾と少掾が置かれていた。
常陸国などは天皇の直轄の親王任国では中央のおえらい常陸の守や介などは都にいて地方には来ないから大掾が権力を握ってしまっていた。

この大掾職が世襲で受け継がれていき「大掾氏」なるものが誕生した。

その世襲の始まりがこの多気山に城をかまえた平氏の血筋の多気氏から始まるといわれている。
多気大掾は維幹・為幹・繁幹・致幹・直幹・義幹の6代続いた。太郎は長男をそう呼んでいたであろうから、この6人はすべて多気太郎と呼ばれていたのかもしれない。

今、北条に残されている多気太郎の五輪塔は最後の当主義幹(よしとも)のこととされる。

この大掾職は当時かなりうまみのある役職だったようで、これを小田氏(八田氏)はほしかったようだ。
うまく多気氏を失脚させることができたのだが、小田氏に大掾職はいかなかった。

ここで小田氏が大掾職を得ていたら石岡の大掾氏は存在しない。

大掾職を引き継いだのは繁幹(しげとも)の二男(致幹(むねとも)の弟)で水戸に進出していた清幹(吉田二郎)が始祖となった吉田氏で水戸城を築き、馬場に住んでいたので馬場氏とも呼ばれていたこの多気氏(平氏)から分かれた一族であった。

そのため、同族に引き継がれたので「大掾職」は世襲の様にして次の吉田氏に引き継がれた。

こうして多気氏・吉田氏と平氏の一族がこの地方長官のような大掾職を引き継ぎ府中城で清幹が倒れる1590年まで約600年続いた。

多気氏が200年、吉田氏が400年である。
吉田氏の400年のうち、最初の半分(220~30年)ほどは水戸が主で、石岡(府中)が従の2つの城を掛け持ち。
水戸が奪われた1426年からは石岡(府中)が大掾氏の本城となった。

言ってみれば石岡と北条や水戸は兄弟のようなものともいえる。

もう少し仲良くお互いの交流を深めてもいいんじゃないかと思っている。
風の会の会報を毎月届けて、少しづつでも交流ができそうな気がしている。

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北条の街中には古い板碑や供養塔もあちこちに残されている。


つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/08 23:48
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