ふるさと(1)
今日9月9日は重陽の節句(菊の節句)だが、朝のNHKでは「救急の日」だと紹介していた。
救急の日も良いが一言くらい重陽の節句にも触れてもらいたかった。
さて、わたしが石岡の昔話の本に「石岡地方のふるさと昔話」というタイトルを付けた。
あえて「ふるさと」という言葉を入れた。
いったい「ふるさと」とはなんだろうか?
誰にでもふるさとがあるのだろうか?
最近この本を作ったことで「あなたにとってふるさととは何ですか?、どこですか?」などと聞かれた。
少し考えて、「ふるさととは懐かしいと感じる場所。私にとってはふるさとがはっきりしないのでこの本を通じてふるさとを問い求めているのかもしれない」と応えた。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたうもの」と室生犀星がうたった故郷は懐かしいものではなく、ふるさとの冷たさを味わって詠んだものという。
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と詠んだ啄木もやはり、都会では恵まれない生活をしていた。確かに上野駅で渋川村の方言を聞いて懐かしいと思うより、今の自分の境遇を想い詠んだに違いない。
一般に「ふるさと」は生まれ育った場所だという。
生まれた場所だけではないし、育っただけの場所でもない。
私の生まれは新潟県小千谷市で、2~3歳で横浜。そして小学2年からは東京都東村山市。
小学校は3校通ったし、中学高校は地元の学校ではなく別な都市の私立学校に電車通学。
石岡地方出身の多くの人は地元の中学を出ているようなので、小中学校が皆同じの仲間同士。
高校あたりから少しばらばらになるので、生まれて中学卒業くらいまで育ったところは文句なくふるさとというようだ。
この定義からは私には故郷はない。
でも故郷を想うことはできる。
だから今故郷を追い求めているのかもしれないである。
昔話の本のあとがきに次のように書いています。
「私たちが「ふるさと」を思うとき、そこに伝承された民話(伝承民話)が過去・現代・未来につながる架け橋になっていることに気づかされます。・・・・・・・・・・この民話が無くなった地域は心の古里もなくなってしまうことになります。故郷に残る昔話をもう一度掘り起こして読み返していただきたいと思います。」
故郷が無いからこそ強く感じることもできるのではないかとも思っています。




ふるさと四季と題した石岡駅の切り絵ステンドグラス
救急の日も良いが一言くらい重陽の節句にも触れてもらいたかった。
さて、わたしが石岡の昔話の本に「石岡地方のふるさと昔話」というタイトルを付けた。
あえて「ふるさと」という言葉を入れた。
いったい「ふるさと」とはなんだろうか?
誰にでもふるさとがあるのだろうか?
最近この本を作ったことで「あなたにとってふるさととは何ですか?、どこですか?」などと聞かれた。
少し考えて、「ふるさととは懐かしいと感じる場所。私にとってはふるさとがはっきりしないのでこの本を通じてふるさとを問い求めているのかもしれない」と応えた。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたうもの」と室生犀星がうたった故郷は懐かしいものではなく、ふるさとの冷たさを味わって詠んだものという。
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と詠んだ啄木もやはり、都会では恵まれない生活をしていた。確かに上野駅で渋川村の方言を聞いて懐かしいと思うより、今の自分の境遇を想い詠んだに違いない。
一般に「ふるさと」は生まれ育った場所だという。
生まれた場所だけではないし、育っただけの場所でもない。
私の生まれは新潟県小千谷市で、2~3歳で横浜。そして小学2年からは東京都東村山市。
小学校は3校通ったし、中学高校は地元の学校ではなく別な都市の私立学校に電車通学。
石岡地方出身の多くの人は地元の中学を出ているようなので、小中学校が皆同じの仲間同士。
高校あたりから少しばらばらになるので、生まれて中学卒業くらいまで育ったところは文句なくふるさとというようだ。
この定義からは私には故郷はない。
でも故郷を想うことはできる。
だから今故郷を追い求めているのかもしれないである。
昔話の本のあとがきに次のように書いています。
「私たちが「ふるさと」を思うとき、そこに伝承された民話(伝承民話)が過去・現代・未来につながる架け橋になっていることに気づかされます。・・・・・・・・・・この民話が無くなった地域は心の古里もなくなってしまうことになります。故郷に残る昔話をもう一度掘り起こして読み返していただきたいと思います。」
故郷が無いからこそ強く感じることもできるのではないかとも思っています。




ふるさと四季と題した石岡駅の切り絵ステンドグラス
よろしくお願い致します。
益々の活動をお祈りします。
いつか私のブログに使用してもよろしいでしょうか?
お許しが出たら使わせていただきます
よろしくお願いします
早速本は送らせていただきます。
そちらのお話もまとめてみませんか?
本なら作りますよ。
> いつか私のブログに使用してもよろしいでしょうか?
> お許しが出たら使わせていただきます
> よろしくお願いします
ええ、どうぞお使いください。
少し背景を説明します。
石岡駅が今年リニューアルされ、高架駅となりました。
2階の通路の窓側にこの大きなステンドグラスの絵が4枚(四季)飾られました。
絵は滝平二郎さんです。石岡の隣の玉里村(現小美玉市)の生まれで、石岡一校の前身の石岡農学校を出ています。
筑波山をはじめ故郷の景色を多く切り絵で残されています。
ステンドグラスは1年かけてこの石岡に工房を持つ制作会社に依頼されました。
「お帰りなさい石岡」といえる町つくりを目指しての趣向です。
いろいろなところで使ってもらえればよいのではと思います。
写真は私が撮ったものですので使っても問題ないかと思います。
よろしくお願します。
本当にきれいな画像です
お許しいただいて嬉しいです
私も当地に行ってみたいですが
なにしろ 遠い
いいところですね
お久しぶりですm(._.)m,Roman様へ‥。
私も、元気で、パートの仕事に従事していますが、中々、書き込み出来なくて、すみませんm(._.)m💧。
ステンドガラスの切り絵が、美しくて、柔らかで、甘くて、清らかな風の香りを鼻で
嗅いでいる親近感を感じます。
私の好きなラジオ番組で、NHKの〈昼の憩い〉の音楽に乗せて、ゆっくりと見たい感じです。
昼の憩いのメロディーの作曲者は、古関裕而さんのメロディーなので、Romanさんの
ブログに貼ってある絵を見ながら、古関さんのメロディーをゆっくりと堪能してみたいです。
〆になりますが、Romanさんをはじめ皆様どうか御自愛下さいませ。
では‥🍀
お元気ですか?
このステンドグラスのBGMとして昼の憩いの音楽ですか?
確かに会うのかもしれませんね。
あの淡々とした語りに何を言うのが良いのでしょうね。
それにしてもこのラジオ曲は昔と変わらずに続いているのですね。
最近ラジオを聞いていなかったので久しぶりに曲を聴きました。
ありがとうございました。
U-Tubeに曲はありますが勝手に使うことはできないのでしょうね。
使えるならスライドにでもして流してみたいですね。