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石岡のおまつりの年番制度について

 石岡のおまつりは毎年年番となる町を順に持ち回りで行っている。
今年は宮下町、来年は青木町となる。

この年番制度の始まりについて最近変な記載が増えてきて気になっている。

1) 石岡市の観光課のHP、および観光協会のHPには

 「現在の年番制度は1887年(明治20年)に確立しました。」

となっている。

2) また常陸国総社宮のHPでも

「年番とは全36の氏子区域のうち15町内が一年交代で仮殿を造営して神様をお迎えする当番のこと。現在の制度は明治20年に始まり、森木町/大小路/土橋町/金丸町/守横町/富田町/仲之内町/宮下町/青木町/幸町/国分町/中町/若松町/泉町/香丸町が15年に一度「年番町」となり、神社に奉仕します。」

と書かれています。

3) 一方、石岡市史や(市制30周年記念)石岡の歴史では、明治35年に年番制度が作られたと書かれています。

どちらが本当なのでしょうか?

4) 石岡市観光協会の発行の「石岡のおまつり」というパンフレットでは、(手元にあるもののみしかチェックしていない)

平成20年版:現在の年番制度は明治35年から始まり、現在に至っています。
平成27年版:年番制度の起源は天王祭における府中4組の年番に端を発し、明治35年に現在の年番順序の原型が決定しました。
平成28年版:27年版と同じ。

となっています。

さて、これをどのように解釈すればよいのでしょうか?

順にもう少し掘り下げてみましょう。

まず、パンフレットにでてくる「天王祭」をすこし知っていることをのべたいと思います。

○ 府中中町の天王社

 天王社は明治初めまで全国にたくさんありました。祀るのはインドの神「牛頭天王」です。総本山は三重の津島の天王社(現:津島神社)。
この社では祇園祭を行っていました。津島の祇園といえば、天狗の話でも出てくるように江戸時代は豪勢な祭りで庶民の憧れの祭りでもありました。大小色とりどりの舟もでていました。
石岡(府中)の天王社は中町の氏神で、創建は不詳だが、霞ケ浦の高崎の海岸にご神体が打ち上げられ、これを府中本陣の谷口氏邸の敷地の一部に社殿を建立したといわれています。
(神社通り(市民会館から中町通りに向かう道)から中町に出た正面あたり)

この天王社は神社ではなく寺であったので、明治維新後の廃仏毀釈の命令により、ほとんどの天王社が同じ祇園祭をしていた「八坂神社」に名称を変え、祭神も「スサノウノミコト」などに変わっていきます。

このため、この祇園祭は踏襲されていくのですが、石岡では幕末の天狗党の乱や明治3年に起こった長法寺の大火のため大きな被害がでて、この祇園祭も途絶えてしまったようです。(復活したかどうかはよくわかりませんが、年番制度をこの天王社の祭礼として明治20年に4つの町で持ち回りで始めたのかもしれない。)

この天王社(八坂神社)は昭和8年4月15日午前10時に常陸総社に合祀された。

総社のFBでは昭和9年に合祀されたとあるが、どちらが正しいかは知らない。
ただ、総社では、この天王社の祭礼を毎年7月初めに行い、痛んでいた神輿を平成12年に修復し、新たに平成13年から渡御を復活している。

ということは石岡の祭りはこの天王社の祭りを踏襲したというとおかしなことになるのか?
あまり感心しないが、まあ二つに分かれることもあるので考え方はいろいろあるかもしれない。

この天王社の祭り(祇園祭)については、明和年間(1760年代)の6月14日に祭礼がおこなわれていたときの記録があり、
一番:富田のささら、二番中町の屋台おどり、三番:香丸の子供おどり、四番:守木の子供おどり、五番:木之地のみろく、六番:泉町のふし、七番:幸町の田打おどり、八番:青木町のほうさい、九番:若松町のかたかた、十番:中之内のほろ、十一番:金丸の人ささら などが府中の街を練り歩いたという。

また「石岡の今昔」の本の中には、青木町の「ちゑんちゑくちゑん」(銭積善)というものが元禄時代からあったが明治3年の大火で姿を消してしまったと記載がある。

○ 明治35年の年番制度

 常陸国総社が郷社から県社に昇格した明治33年に9月9日の例大祭に合わせて、全町一致で行われる祭りを行うことを決めた。
準備を進め、年番を決めたのは明治35年8月29日に町役場で行われた区長会だった。
そして籤で順番を決めることになった。
参加を表明した町は全部で17町あった。
しかし、籤は16本であったため、貝地が漏れた。(本当は最後に年番がまわってくるという口約があったともいうが、16年後には忘れられて次に廻ってしまったともいう)(石岡の今昔)

木之地は昭和27年に小町という理由で辞退されたが、木之地には愛宕神社があったことも影響しているかもしれない。

現在は15町で順に持回る年番制度が続いているが、今の祭りを見ているともう少し範囲を広げて旧15町での持ち回りでは負担も耐えられなくなってくるのは目に見えている。そろそろ再考しても良いと思う。

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神様は分霊の術を使い神輿に乗り移りますが、総社にも必ず残っています。
お祭りの期間だけ分霊が年番町のお仮殿にいます。

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このおまつりの良いところは全町一致団結して祭りを盛り上げることです。
石岡も八郷地区と合併し10年が過ぎました。

お祭りももう少しお互いの協力で盛り上げることも必要かもしれない。

お祭りは楽しければよい。
神社の祭りということでもよいが、市民全員が楽しめるものとならんことを望む。

長文失礼しました。

石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/22 23:14
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