6年前の気になる記事(鹿子の木)
今日も記事がない。最近どこも行かないので書くことがなくなってきた。
そんな時は今までの記事をもう一度読み返してあまりまだアクセスがなかったころの気になる記事を探してみよう。
「鹿子の木(かごのき)」という記事を書いたのは2010年の9月のこと。
あれからこの木はどうなっているだろうか?
近くはよく通るのだがこの記事の場所へはこの時以来行っていない。
あれから部原(へばら)から厚茂峠を越えて真家に出る通りにもつながっているので江戸時代の瀬戸井街道の脇道だろう。
当時よりもそんな知識は増えたのでまた行ってみると違った感覚も味わえるかもしれない。
近いうちにまた行ってみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2010.9.24)
昨日から急に寒くなった。
暑いときは寝不足を嘆いていたが、寒くなると体が疲れた感じになる。
なかなか丁度良い具合にはいかないものだ。
水不足は解消されたが、果物の産地としてはまだ心配だ。
さて、今日は「矢口家のカゴノキ」を紹介しよう。
場所は石岡市山崎風ヶ沢1383であるが、地元の人以外は現在あまり通らない場所だ。
ここは、昔は瓦会、部原地区と真家、岩間方面とを結ぶ街道であったという。
この場所で矢口家は茶屋を営んでおり、旅人の労をねぎらったという。

このカゴノキは樹齢約250年も経つもので、道路に斜めに張り出したようになっている。奇妙だが、昔は周りに、他の木があって邪魔をしていたためのようだ。

カゴノキは「鹿子の木」と書く。鹿の子(バンビ)の体の模様に似ているためについた名前だ。
木が大きくなるときに表皮が割れて模様になるという。
主に温暖な気候のところに生える樹木で、茨城では珍しいそうだ。
樹木もそうだが、馬滝(真家)から鳴滝(瓦会)へ山伝いの道を通っていた時に見つけた。
昔の街道であったと聞くと何か懐かしくなってきたので紹介してみた。
先日柴間の丘の上にあるギター文化館から、この方面を眺めた。
のどかな風景が広がり、その先に鐘転山(かねころばしやま)からの山並みが続いていた。
そんな時は今までの記事をもう一度読み返してあまりまだアクセスがなかったころの気になる記事を探してみよう。
「鹿子の木(かごのき)」という記事を書いたのは2010年の9月のこと。
あれからこの木はどうなっているだろうか?
近くはよく通るのだがこの記事の場所へはこの時以来行っていない。
あれから部原(へばら)から厚茂峠を越えて真家に出る通りにもつながっているので江戸時代の瀬戸井街道の脇道だろう。
当時よりもそんな知識は増えたのでまた行ってみると違った感覚も味わえるかもしれない。
近いうちにまた行ってみよう。
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(2010.9.24)
昨日から急に寒くなった。
暑いときは寝不足を嘆いていたが、寒くなると体が疲れた感じになる。
なかなか丁度良い具合にはいかないものだ。
水不足は解消されたが、果物の産地としてはまだ心配だ。
さて、今日は「矢口家のカゴノキ」を紹介しよう。
場所は石岡市山崎風ヶ沢1383であるが、地元の人以外は現在あまり通らない場所だ。
ここは、昔は瓦会、部原地区と真家、岩間方面とを結ぶ街道であったという。
この場所で矢口家は茶屋を営んでおり、旅人の労をねぎらったという。

このカゴノキは樹齢約250年も経つもので、道路に斜めに張り出したようになっている。奇妙だが、昔は周りに、他の木があって邪魔をしていたためのようだ。

カゴノキは「鹿子の木」と書く。鹿の子(バンビ)の体の模様に似ているためについた名前だ。
木が大きくなるときに表皮が割れて模様になるという。
主に温暖な気候のところに生える樹木で、茨城では珍しいそうだ。
樹木もそうだが、馬滝(真家)から鳴滝(瓦会)へ山伝いの道を通っていた時に見つけた。
昔の街道であったと聞くと何か懐かしくなってきたので紹介してみた。
先日柴間の丘の上にあるギター文化館から、この方面を眺めた。
のどかな風景が広がり、その先に鐘転山(かねころばしやま)からの山並みが続いていた。
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