古代に夢をはせて(5)-手子后神社

 昨日書いた「くれふし古墳公園」に曲がる道を反対方向の東側に曲がってそのまま平地の道を進んで少し登り坂になった辺りの右側に手子后神社があります。(水戸市田島町)

さて、何故のこの神社を「古代に夢をはせて」に載せておきたくなったのかというと、何かこの神社を知るヒントになるのではないかと考えたのです。

手子后(てごさき)神社については前に記事にしています。

基本的には神栖市波崎の銚子大橋の入り口にある「手子后神社」がメインになる神社ですが、茨城県井次の5カ所があります。

・神栖市波崎
・石岡市中津川
・水戸市元石川町
・水戸市田島町
・城里町上圷
であり、すべて近くに古墳があります。

常陸国風土記に「童子女(うない)の松原」として出てくる話に登場する話しで

「那賀の寒田のいらつこ、海上の安是のいらつめといふ、年若くして神に仕へてゐた少年と少女が、歌垣「嬥歌(かがい))」の集ひで二人は偶然出会い、人目を避けて歌垣の庭から離れ、松の木の下で、手を合はせて膝を並らべ語らい謳っていると、時のたつのを忘れ、気が付くと日がさしてきていた。二人は恥ずかしくなってその場で松に姿が変わってしまった。いらつこの松を奈美松、いらつめの松を古津松といふ。」

この手子后神社はこの二人「奈美松命と古津松命」を祀るのが基本なのですが、それぞれ少しづつ違っています。

これを紐解いていくと鹿島郡「香島郡(かしまのこおり)」が誕生した話に行きつくようです。

香島(鹿島)郡は大化5年(649年)に下海上国より「軽野」という土地と仲(那賀)国より「寒田(さむた)」といわれる土地をそれぞれ供出して新しい郡(こおり)が置かれたとなっています。

では最初に書いた神栖市波崎の手子后神社には、この神社は神護景雲年間(西暦767年)の創建で、祭神は手子比売命(てごひめのみこと)。鹿島史によると神遊社ともいい、御祭神は、大神の御女なりとある。又一説には「常陸風土記」の「童子女の松原」に見られる安是の嬢子を祀った社とも言われている。」と書かれています。

大神は鹿島の大神のことです。

こちらのくれふし古墳の里公園に近い手子后神社を見てみましょう。

IMG_1280s.jpg

祭神は手名椎命(てなづちのみこと)で、この神はヤマタノオロシ退治でてくる足名椎命(あしなづちのみこと)とこの手名椎命夫婦の娘がクシナダヒメのことです。

奈美松、古津松を祀ってはいません。
またこの神社だけが「宿魂石」を祀っているともいわれています。

宿魂石は大甕(おおみか)神社にありますが、この常陸の国に進出してきた建借間命(たけかしま)(那賀の初代国造になった)が退治できない強敵の「星神香香背男(ほしのかがせお)」を退治するために派遣された「建葉槌命」により大甕山でこの宿魂石で抑え込まれているということになります。

この建葉槌命は常陸国二宮である「静神社」に祀られています。

どうですか何か感じませんか?

詳しくは、前にまとめて書いた記事(こちら)を参照ください。

古代に夢をはせて | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/11/05 21:11
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