相輪橖(そうりんとう)

 行方市の古刹「西蓮寺」には2つの国指定の文化財がある。
一つは入口にある山門(仁王門)で、建設当時は2階建ての楼門だったといわれている。
これは石岡の国指定文化財である太田善光寺の楼門とよく似ている。
善光寺の方は楼門と名がついているが1階建ての山門(仁王門)で、作った時には2階建てにする計画だった痕跡があるが最初から1階建てだったといわれている。

もう一つの国宝が今日紹介する「相輪橖(そうりんとう)」といわれるものだ。

最澄が比叡山に建てたものと、日光の輪王寺にあるものと合わせて日本三相輪橖と呼ばれているそうだ。

橖(とう)は塔と同じで、一般には三重塔や五重塔などと同じで、この下に仏舎利(釈迦の遺骨の一部など)を収めているようですが、実際は仏教の経典や経巻などを収めているようです。

ただ、日光輪王寺は江戸時代に天海大僧正が建てた寺で、亡くなった年に建造されているようなので、天海僧正の遺骨でも納めているのかもしれません。

ここの西蓮寺の下には何が埋められていたのかなどはどこにも書かれたものがありません。

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この相輪橖(そうりんとう)は元寇の役の戦勝を記念して建てられたと書かれている。
そのため、ここに何度か来ているがこんなものがあるのだとあまり気にしてみてこなかった。

少しじっくりこれを見ていこう。

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この真っ直ぐな塔は中芯に真っ直ぐな長さ9mほどの木を立て、その周りを10枚の銅板で等間隔に巻いて造られており、銅板と銅板のつなぎに細めの銅板を使っているようだ。

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塔の最上部にはこのような飾りがあるのだが、このリング(大輪1個+小輪12個)がどのような意味を持っているのかよくわからない。
一番上は火焔と宝珠がかたどられているが、他の相輪橖とはまた違った形をしている。

さて、この上部にある銅板にいろいろ文字が彫られているようだが、それによると

為弘安之戦勝紀念弘安十年中興慶辦建立
  :弘安の役(2度目に蒙古が攻めてきた元寇の役(1281年)の戦勝を紀念して弘安10年1287念)に建立された。
  (寺を中興した慶辦が建てた)

慶長九年舜海代修繕:
  :慶長九年(1604)に僧舜海(川越に入定塚があるという)の代に修繕した
天保十二丑年八月旭諄代 再建新庄直計殿塔心木寄進
  :天保十二年(1841)に旭諄の代に再建され、この時に新庄直計(麻生藩藩主)が心木を寄進した。

その後も、明治36年などに修理されている。
最近では、木芯の腐朽により橖身が傾斜したため昭和52年解体修理が行われたと記録もある。

こんなものも紐解くとまた見える景色も変わってきそうだ。
この場所は麻生よりは玉造に近いが麻生藩だったのか?
(玉造は水戸藩)






小美玉・行方地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/12/14 18:22
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鍵コメさま
情報ありがとうございます。
いつも行方地方の正確な情報参考になります。

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