息栖神社と蚕霊神社(1)

 先週土曜日に鹿島・香取と並んで東国三社といわれる「息栖神社」にまた立ち寄りました。

今年すでに2回目の訪問となります。

土曜でしたので観光バスもやってきており、前とは違ってだいぶにぎやかでした。

しかしこの神社に来てどのように感じて帰られるのでしょうか?
きっと「東国三社廻り」とか、「鹿島詣で」の途中に短い時間立ち寄られるのではないかと思います。

他の2社に比べてあまり見るところがないのです。

でも私は4~5年前にここを初めて訪れてから時々気になって訪れるのですが、よく理解ができない場所なのです。

前の記事もありますので良ければ参考にしてください。
1)息栖神社(1)-東国三社 ⇒ こちら
2)息栖神社(2)-句碑 ⇒ こちら
3)息栖神社(3)-忍潮井 ⇒ こちら
4)息栖神社遷座 ⇒ こちら
5)息栖神社に立ち寄って ⇒ こちら
6)潮来から息栖(1)~(7) ⇒ こちら
6)息栖神社 ⇒ こちら
7)沖洲の津 ⇒ こちら

とまあ今までに大分記事も書いてきた。
でもまだ何か足りないような気がしている。

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拝殿や社殿は享保8年に建て替えられたのですが、これを昭和35年に火災で焼失してしまい、現在の社殿は昭和38年に新しく立て直したものだそうです。
でも社殿が火災には強くてもコンクリート製ではやはりどうも古くからの東国三社の趣が感じられないですね。

今、三社廻りで来られた方達もきっと1度来て短い時間滞在しただけで、もう「行った」ということに満足して帰ってしまわれるでしょう。

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でももう少し考えてみてほしいという気もしています。
境内社の祠が2つ並んでおかれています。
向かって左は「奥宮」「高房神社」「伊邪那岐(イザナギ)神社」「鹿島神社」の4柱、
右は「若宮」江神社」「八龍神社」「手子后(てごさき)神社」「香取神社」の5柱 が祀られています。

これらを鹿島神宮、香取神宮の摂社の古代のものなどと調べて比べてみると何かわかるのかもしれません。

高房神社は鹿島神宮の境内にありましたし、手子后(てごさき)神社は波崎の先端(銚子大橋の手前)にあります。
これも童女の松原伝説で書いたことがあります。

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ここに芭蕉の句碑が置かれています
「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」 です。

芭蕉が鹿島に月見に訪れた時の歌で、この地にも立ち寄ったものと思われています。

気吹戸主というのは汚れなどを風で吹き飛ばす、または水などで清めて洗い流す神様です。
芭蕉は日本建国時に、この場所が蝦夷地を平定していくための進出拠点となったと感じたのかもしれません。

また前に紹介した句碑として 鎌倉時代に、初代笠間氏となった藤原時朝が鹿島詣での途中で10首の歌を詠んでいます。

「鹿島潟沖洲の森のほととぎす船をとめてぞ初音ききつる」

鹿島へ船で行く途中にこの地に船を停めてホトトギスの初音を聞いたというようです。
時代の様子が分かって面白いと思います。

奈良時代には九州の防人(さきもり)に任務に行く前にこの鹿島神宮をに無事を祈願してから旅立ったという「鹿島立ち」なる言葉も良く使われました。

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芭蕉の句碑の隣には力石が置かれていますが、そのまえぬ古びた狛犬が、もう形も良くわからないほどの姿になっておかれています。

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前に書いたこととあまり変わらないのですが、もう少し続きます。

神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/17 21:49
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