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息栖神社と蚕霊神社(2)

 東国三社の一つ「息栖(いきす)神社」を少しだけ探索しています。

江戸時代は霞ケ浦と江戸を結ぶたくさんの船運が物資輸送を含めた交通の大動脈でした。
それは馬1頭に人足1人必要で、しかも2俵しか運べなかったものから比べると飛躍的に運搬能力が向上できたからです。

舟なら底の平らな高瀬舟でもかなりたくさん積めます。
鉄道も、車もない時代ですので船運が盛んになるのも想像できます。

また風も朝晩で海風、陸風と変わりますので帆かけ船がたくさん使われていました。
また船で旅する人も、港(湊、津)で風を待つための御休み処などもきっと発達してにぎわったのでしょう。

さて、では東国三社巡りというのはいつごろいわれるようになったのでしょう。
江戸時代には伊勢参りに次ぐ人気スポットだったようです。

今では忘れ去られそうになっていましたが、最近はパワースポット巡りとしてこの東国三社がまた注目されてきているようです。

壮大な直角三角形に並んだこの三社の配置や、拝殿の向きなどとも合わせて太陽の方向を見るレイラインの神秘性などで注目が少し高まってきたのかもしれません。

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この息栖神社は現在は船の航海の神様を運んできた「アメノトリフネ」を祀っているといわれますが、主祭神は久那戸神 (くなどのかみ、岐神)です。
久那土(岐)は「来なと」ということで、悪霊や病気・汚れなどの侵入を防ぐ神様といわれています。

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さて、身を清めてくれ、悪霊などの侵入を防いでくれるというので、この神社本来のご神体はこの入口にある清やかな泉(忍潮井)ではないかと思われます。

この日は夜に少し雨が降ったようで、道路は少し凍っていました。
観光客の方は足元の氷に気を取られてしまっているようでした。

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常陸利根川側に水門があり、この入口の池の神社側には2つのきれいな泉があります。
昔はこの常陸利根川も大きな内海の一部であり、海水が流れ込んでいましたが、この海辺に地下からきれいな真水が噴出されていたものと思われます。

今もきっとそこから真水がわいているのでしょう。

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この井戸の説明看板には:
「神宮皇后3年(194)、真水淡水が海水を押し分け涌き出た所から、オシオイ忍潮井と名づけられた。
男甕は径2m弱の白御影石で銚子形、女甕はやや小ぶりで土器形をしている。」
と書かれています。

神社側から見て左が 女甕(かめ)で、右が男甕です。
この日は水も澄んでいて中で泳ぐ鯉などもよく見えました。


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さてこの井戸は西暦194年に噴出したとありますが、この神社は西暦806年にもう少し東の日川からこの場所に移されたといわれています。

前の場所が津波か何かで被害を受け、現在地に移動したのでしょうが、この忍潮井もその時に移したのではなく、井戸が自ら泣きながらあとを追いかけて現在地にとどまったと記載されています。

では昔あった日川という場所はどのあたりでしょうか?

範囲は広いのですが、息栖神社から東南に川に沿って5~6kmほど離れた日川地区に常陸国の三蚕神社の一つである「蚕霊(さんれい)神社」があります。
きっとこの神社が元宮ではないかと思います。

明日はこちらの神社を紹介します。

神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/18 19:46
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